幸せになりたくてもなれない不幸を引き寄せる考え方

幸せを求めて

幸せになりたい。

そういうとき陥りがちなのが、「○○さえあれば幸せになれる!」という幻想だ。

今自分が不幸なのはお金がないからだ。彼女がいないからだ。独身だからだ。無職だからだ。

そのように、「持っていないもの」を不幸の原因と考える。でも実は、「持っていないもの」を手に入れても幸せはやってこない。

実は、「○○さえあれば幸せになれる!」という考えは不幸の素と言っていいかもしれない。

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ないよりあったほうがいい、けれど

例えば筆者は20代、お金のことでとても苦労した。

就職で失敗し、ようやく縁があったのは非正規の仕事。それも長く続かず、控えめに言ってかなり懐の寂しい暮らしを送った。

そこで、「経済的に自由になりたい。月にXXX万円は稼げるようになりたい!」とずっと思っていた。

それでコツコツ頑張っていきた。そして目標月収を稼ぐことができた。

ところがである。いざそれを実現すると、案外それほど嬉しくない。「あっ、達成した」という感覚はあるけれど、思ったより嬉しくない。

目標を達成する前は、「月収がこれくらいあれば嬉しいだろうなぁ、お金が自由になるだろうなぁ」とずっと考えていた。もっと満足感があるものだと思っていた。

しかし、現実に幸福度はそこまで変わらない。

確かに、20代の頃の貧乏暮らしときよりは確実にマシではあるが、「幸せかどうか?」というと、はっきり言って幸福度は全然関係ない。

収入が増えても寂しくて虚しいときはあるし、心がモヤモヤするときがある。税金の心配も増える。なので、「○○さえあれば幸せになれる」というのは完全に幻想だと思う。

お金さえあれば幸せになれると思っている人は、お金を手に入れても幸せになれない。恋人さえいれば幸せになれると思っている人は、恋人ができても幸せになれない。

こんな話があるが、それは本当にそうだと思う。

今何を持っているか。それと幸せかどうかは、全く別の話である。もちろん、お金はないよりあったほうがいいけれど。

「○○さえあれば」のワナ

早い話、今不満を感じていると、その不満を解消しても幸せにはなれない。なぜなら、幸せは今の自分の視点、状態だから。

今不幸ということは、自分の足りないもの、不足しているものに目を向けている自分がいるということだ。

自分はココがダメだ、あれが足りない。そんな思考が習慣になっているということだ。

するとどうなるか。

不足を解消しても、次に必ず、足りないものに目を向けるようになる。そうなったらあとはいたちごっこである。不幸の原因を解消する。するとまた不幸の種が現れる。

その繰り返しである。であるなら、結局は今の自分を変えていくしか幸せは見つからない。いくら外に幸せを見つけようとしても時間のムダである。

では何をすればいいのか?

ありきたりな答えかもしれないが、足りないものではなく、持っているものに目を向けるのが有効な方法だと思う。

今自分のどんなところが恵まれているか。今の人生のどんなところがいいのか。そういうプラスの部分に目を向けるクセをつける。その繰り返しだと思う。

今自分に足りているもの、持っているもの目を向ける。そうすれば、「今」のありがたさが分かる。満足できるし感謝できる。そうしたら気持ちも変わる。

幸せって、そういうものだと思う。

最後に

「今自分は不幸である」

もしそう感じるなら、その原因を探すのはやめた方がいいかもしれない。

不幸の原因を潰しても、決して幸せにはなれない。いや、原因を特定し、潰そうとすればするほど、不幸の種は無尽蔵にわいてくる。

しかし、不幸など気にせず、今の自分をじっと見つめる。そして良いところを探し出す。そうすると、人生にはマシなところがあることに気づくことができる。

そこに気づけば、自分の心の何かが変わる。気持ちが穏やかになり、ないものねだりをすることがなくなる。すると、幸せというのがすぐそこにあることに気がつく。

結局、幸せは意識の持ち方だ。

不満不平がクセになっていると、どんなに恵まれていても、決して幸せを感じることができない。

不幸に感じられているときこそ、視点を変えて、人生の良いところを探すのだ。そうすれば必ずそれは見つかる。それこそが幸せのカギだと思う。

最後にこの言葉を。

自分の幸せを数えたら、 あなたはすぐに幸せになれる。

ショーペンハウアー(哲学者)

至言である。

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