なぜ愚痴ばかり言う人は愚痴ばかり言うのか

こちらを見つめる女性

世の中には、不平不満、愚痴ばかり撒き散らす人がいる。

会う人会う人、誰かを捕まえていかに自分の人生がうまくいっていないか。不運だらけで不公平なのか。グジグジと不運を語り出す。

あなたが優しい心を持っている人であれば、

「この人は人生いろいろあって、辛いのだな」

と、仏心を出してその愚痴を聞いてあげることが人としての正しい姿勢だと考え、その愚痴に付き合ってあげるかもしれない。

が、現実問題それは自分にとっても。何より相手にとっても。愛のない最悪の対処法である。

愚痴ばかり言う人の正体

人生で愚痴ばかりたれている人は、端的に言って自己中である。つまり自分のことしか考えていない人たちである。

ほんの僅かな想像力を働かせれば、容易にその理由を想像することができる。

皆この世の中で、それぞれの人生を必死に生きている。誰もが皆、人生で幸せな日々を送っているわけでもない。

それぞれの人生でベストを尽くし、人に迷惑をかけないよう、必死に生きている。

とんでもない辛いことがあっても、何事もなかったように気丈に振る舞い、人に余計な心配をかけまいと、努力している。

そんななか、まわりにいる人を捕まえて、

「私の人生は生まれてからずっと、悪いことばかりです」

「私はこんな扱いをされました」

「私はこんなに最悪な気持ちです」

など、一方的に愚痴を聞かされる立場を想像してみたらどうだろう?

いい気分になることはもちろんないし、話を聞いてワクワクすることもないだろう。

むしろ、お腹のあたりがキュッとして、胸のあたりにはいやーななにかが漂ってくる。愚痴を聞き終えたあとは、クタクタで疲れる。

愚痴を言っていた本人は自分の不満をぶちまけて満足できるが、聞かされている方は、とんでもない災害である。

疲れる。嫌な気分になる。一つも良いことはない。

考え方の基本はすべて「○○のせい」

自分の気持ちさえスッキリできればそれでいい。愚痴を聞かされる人がどうなると、興味がないのである。

むしろ、愚痴を言うことによって関心を自分に向けさせて、愚痴を聞いてくれた人からエネルギーを盗もうとさえしている。

この意味で愚痴を言う人とは結局、自分のことしか興味がない人である。

愚痴を聞かされる人がどうなるかなんてどうでもいいのだ。というか想像すらできない。

ただ、自分が愚痴を撒き散らしてスッキリできて、自分の不幸を誰かに肯定してもらえばそれでいい。

すべては、「自分」という枠でしか、物事を考えられないのである。

だから、何かあったときはいつも誰かのせい。今日気分が悪いのも誰かのせいだし、仕事がうまくいかないのも誰かのせい。

人生が失敗続きなのも誰かのせいで、人生不運ばかり起こるのも誰かのせい。1ミリも「自分のせい」とは考えない。

愚痴ばかり言う人がくすんだオーラをまとっており、周囲にネガティブを撒き散らすのは、決して偶然ではない。

愚痴を聞く無意味さ

例えば、私はなぜかまわりに、「私の悩みを聴いて」という人を引き寄せやすい時期があった。

カウンセラーに向いているのか、話をしやすい雰囲気があるのかどうかはわからないが、やたらと人から人生相談や悩み事を打ち明けられた。

それで、一時期は悩みや不満を抱えている人が愚痴を話し出したとき。

「誠心誠意、話を聞いてあげるのが人としての優しさだ」と信じ、自分の時間を削って愚痴を聴いた。

相手の気持ちに共感しようとして、じっくり話を聴いていた。ところがあるとき、それは全く本人のためになっていないことに気づいた。

なぜか。

彼らは別に悩みを解決するために愚痴を言っているのではなく、惨めな自分を見てほしい。自分に注目して欲しい。人から関心を寄せてほしい。

そんな自己中心的な気持ちで愚痴を撒き散らしていることに気づいたからだ。

そして問題の本質は、愚痴を撒き散らしている人の考え方そのものにあることを確信したからである。

あえて愚痴を聞いてあげない優しさ

人生いろんなことがあって、誰もが皆、この世で幸せだけを経験することはできない。

今人生がうまくいっているように見える人でも、その実過去には、何度も苦しい夜。眠れない夜を経験した人は少なくない。

にも関わらず、彼らはその過去を決して人には見せないし、語らない。

表には出せない理不尽なことも経験しただろう。だからといって、彼らは人生にすねず、甘えず、自分の道を切り開いた。

だから運も彼らに味方し、彼らは人生を取り戻すことができたのである。

一方、愚痴ばかり言う人は、自分のことしか考えていない。そして、自分が間違っているとはほんの1ミリも考えない。

彼らの思考は自分が正しくて、今人生がうまくいっていない原因は自分ではなく、他の誰かのせいだと信じている。

だから、人生に幸運がやってきてもそれに気づくことができず、グジグジと、「あいつのせいだ」と、被害者意識を持ち続ける。

そして愚痴を聞いてあげても。自分から現状を変えていくための建設的な行動や粘り強い努力は、一切しない。

だから彼らの愚痴を聞いたところで、今後の建設的な発展を見込むことは非常に難しい。

もしかしたら、彼らの人生は本当に不運かもしれない。

しかしそこから抜け出そうとせず、不平不満のなかにとどまり続けているのは、彼ら自身の選択であることは否定できない事実。

だからこそ、愚痴を聞いてあげることはまさに、彼らを甘やかすことであり、彼らの成長を促せない原因になっている。

そのこと気づいた瞬間、私はもう、愚痴の聞き役をするのをやめた。

愚痴を聞く現実的なマイナスの影響

人生は本当に山あり谷あり。生きていれば、理不尽なこともあるし、納得できないこともたくさんある。

そんななか、起こった出来事を誰かのせいにするのか。それとも、自分があのとき何をすれば良かったのか。

視点が違うだけで、人間的な成長も段違いである。

仮に自分に全く非がない場合でさえ、自分がどうすればその理不尽に巻き込まれずに済んだのかを考えられる人は、今後理不尽な出来事を人生の貴重な学びに変えることができる。

一方、「誰々のせいで私の人生はこんなにも不幸です」と愚痴を吐き続ける人は、意識がそこで止まってしまい、そこからは1ミリも、成長することはない。

いくら愚痴を聞き続けても、その愚痴は止むどころか、ますます増えていく。

あなたが親切心で彼らの愚痴を聞いてあげたとしても、彼らは決して満足しないし、成長もしない。

何より、あなたはその愚痴に巻き込まれ、そのネガティブエネルギーを一身に受けることになる。

それはやがて、あなた自身の精神的健康を損なう原因になるだろう。

おすすめの付き合い方

愚痴を聞いてあげても、本人のためにならない。何より、自分のためにもならない。これはまさに悲劇である。

だからこそ愚痴を吐き続ける人の対処法は、ただ1つ。

「私はあなたの愚痴の聞き役にはなりません」

という態度を鮮明にすることである。

愚痴ばかり言い続ける人の愚痴を聞いて上げることは優しさではない。むしろ、誰一人幸せにしない不毛な行為である。

「あなたの愚痴を聞きたくありません」

と表明することは、正直で誠実な態度である。

それでもなお、愚痴ばかり言う人が成長を拒むようであれば、距離取って関わらないようにするなど、大人の対応が必要である。

誰も愚痴、不平不満ばかり言う人とは一緒にいたくない。そのことを、教えてあげるのである。

仕事など、どうしても付き合わなければいけない場合、愚痴を言いだしたとたんその場を離れる。

最低限の接触にとどめ、相手がそれ以上愚痴モードに入らないように制止する。

愛が人のためになるものであれば、まさにこれが、本当の愛である。

最後に

愚痴泣き言不平不満。

これらを「地獄言葉」と表現し、禁忌にしている成功者がいるが、「聞かされる方にとって地獄」という意味において、この表現は正しい。

辛い人には優しくしよう。弱い人は助けてあげよう。これは人として、非常に大切な信条である。

が、愚痴や不平不満ばかり吐き散らし、話を聞く方をいやーな気持ちにさせること。

それを容認することが本当にその人のためになるのか?自分のためにもなるのか?

長くなってしまったが、大切なことはそこである。

たまに愚痴を言うのは仕方ない。しかし24時間365日、絶えず愚痴を吐き続けるなら話は別。

その行為を容認するのは優しさでも何でもない。それを真っ直ぐ指摘して改まるなら今後も付き合う余地はある。

一向に改まらないなら?本人が自分で、その誤りに気づくしかないのである。

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