生き方が分からなくなったとき=人生を見つめなおすとき

希望がそこにあることを信じて

人生には、大きな挫折を味わうことがある。

「なぜこんなことが自分に起こるのか・・・」

そんな苦しい時にこそ、新しい生き方が見つかることもある。

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生き方が分からなくなった私の体験から

私が30歳になる直前のこと。

当時、とある公立中学で期限付き教師として働いていた。

もともとは、大学卒業後、一度中学校の非常勤講師としてキャリアがスタートしたが、職場の人間関係になじめず退職。

その後インターネット関連のフリーランスとして5年ほど働いていた。

ただ、29歳になった頃、「自分の人生、今のままでいいのか・・・」と迷いが生じてきた。仕事は楽しいものの、一人で働いているため人間関係がなく、収入も不安定。

「このまま、フリーで進んでいいのか?」

「自分の人生は間違った方へ進んでいるのではないか?」

「進路を変えるなら20代のうちがいい!」

そんなふうに悩み、結局、再度教師として復業することにした。

そこで、まず教師としての仕事を得ようと就職活動した結果、私立の中高校一貫校と公立中学校から仕事のオファーをもらうことができた。

そして、家から通うことができた公立中学への勤務を決めた。

が、勤務初日から「自分の決断が間違いだったのではないか・・・」と不安を感じた。私の勤務先は、いわゆる荒れた学校だったのだ。

人生を変えた強烈な現実

荒れた学校と一口に言ってもいろんな程度があるが、この学校は格別だった。

その学校では、授業崩壊がデフォルトで教師への暴力暴言は日常茶飯事(殺人未遂で少年院行きの生徒が出たこともある)、毎年何人もの教師が病気で学校を休んだり、辞めてしまうような学校だった。

このときの体験は筆舌に尽くしがたいが、どんな場所でもどんな状況でも、全力で挑戦するのが自分の流儀。

教師としての職務を忠実に果たしたが、状況はどんどん悪化し継続は不可能な状況に。一学期を終了した段階でどうにもならないことに気づき、仕事を辞めることを決断した。

その後、辞めた学校の校長先生が教育委員会に掛けあってくれたらしく、

「○○中で頑張ってくれたと聞いた。2学期からこちらの学校で勤めてみないか」

と再就職の話をもらったがそれを辞退、フリーランスとして仕事を再び始めることにした。

それが、ちょうど30歳になったころのことで、再度フリーランスとしての生き方を選択したことが、私の人生の転換期となった。

どんなときも道はある

もともと、私は器用な人間ではない。

大学在学時、採用試験に不合格になり就職先が決まったのが大学卒業直前の3月。それも非常勤(教育界の日雇い労働者のようなもの)というキャリアとも言えないようなもの。

その仕事でさえ、人間関係が上手くいかず、半年で辞めることになってしまった(学生時代塾講師の仕事は楽しくて3年続けることができたが、うまくいかないときはどうにもこうにもうまくいかないようだ)。

失敗続きで再就職する気もなかったので、自分で始められるインターネット関連のフリーランスとして個人事業を開業することになった。

人生の進路に迷い、下した決断が失敗という結果に終わる。このときほど、自分の人生をどう生きたらいいか、分からなくなったことはなかった。

収入と生き方、人間関係。全ては不安定で、これからどうしたらいいのか、分からないまま。これが私の20代で、まさに人生の暗黒時代だった。

このときは本当に霧の中にいるようで、自分がどこに向かっているのか、これからどうなるのか、全く先が見えなかった。

毎日が重く苦しい、そんな日々だった。

自分を決してあきらめなかった結果

ただ、こころの中で、

「このままでは終わりたくない!」

「今よりもっとマシな生活が送れるはずだ」

という思いがあった。

私は、自分の人生をあきらめたくはなかった。そして、「いつか春がやってくる」と信じていた。春を待ち、長い冬をずっと耐えていた

それは正しかった。

教師をやめてこれからの道を考えたあの30歳のとき。それがまさに人生のどん底であり、上昇への転換点だった。

そこから1年、また1年。私の人生は目に見えて良くなっていった。仕事がうまくいき、収入もアップ。

完璧とまでは言わないが、結婚できていない以外、私が理想としていたライフスタイルを実現することができた。

これは、あの地獄を知る自分としては、まさに奇跡である。

生き方を見失う理由

生き方が分からなくなるときは、自分のなかの価値観が崩れ、こころの中で信じていたものが見えなくなってしまうとき。

自分が信じていたもの。「こうあるはずだ」と思っていたこと。大切にしていた価値観が、信じるに値しないものになってしまう。

人はこころの中で、人生の青写真を持っている。それは、こころの中にうっすらと埋め込まれた、秘密の地図のようなもの。

「こういうふうに生きていくのが当然だ」

「○○するのが当たり前だ」

ある人は有名大学に入って一流の企業に勤める生き方が自然でよい生き方と信じている。

またある人は結婚して子供を育てる生き方が当然だと信じている。

人は知らず知らずのうち、何かしらの価値観を持って生きている。この「当然そうなるはずだ」と思う生き方が出来ないとき、人は不安に陥る。

その気になればいつでも再出発できる

「生き方が分からない、これからどうすればいいか分からない・・・」

この状態はまさしく、信じる拠り所、あるべき生き方を見失ったからにほかならない。

「当たり前」と思って目指したことが、自分の思っていたものとは違うと分かったとき。目標を目指して努力しても、それが実現しなかったとき。

今までの理想と幻想は消え去り、現実というリアリティに直面することになる。

ときに人生は思い通りにいかないことがあり、残酷な現実や苦しい体験をせざるをえないことがある。

高い学歴を手に入れようと頑張っても、思うとおりにいかないこともある。いい会社の入ろうとしても、入れないこともある。結婚したくても、様々な事情で出来ないこともある。

このようなとき、人は容易に生き方を見失いがちになるが、実は同時に、今までの価値観をリセットするいい機会にもなる。

どん底はゼロベースからやり直しできるチャンス

自分が「正しい、当たり前」と思っていたことを見直す。

人から勧められたこと、自分の適性、したいことやしたくないこと。片っ端から自分を見つめ直す。そうして初めて見えてくるものがある。

一番いいのは、普段と環境を変えてしまうことかもしれない。ノートパソコン片手に旅に出て、普段は行かないようなところへ行く。

旅先のホテルでパソコンを起動、ワードを開いて、自分について書きだす。

どういう人生を送りたいのか?

自分はどんな生き方がしたいのか?

どんなことに価値があると思うのか?

人間関係はどうか?

自分に向いていることは何か?

リストを作って、自分の生き方について考える。考えるという作業が、人生を再出発するためのスタートになる。

先人たちの生き方を参考にする

また、読書も素晴らしい体験になる。

生き方や人生そのものを見失ったときに一番良いのは、自分と同じような悩みを持った人の本を探して読むことだと思う。

私が10代で人生の進路に迷っていたときはヘルマン・ヘッセの本を。

20代で生き方に迷っていたころはV・E・フランクルの本を読むことで、苦しい時代を乗りこえられることができた。

そして、苦しいときに心の支えとして読んだ数えきれないほどの本が、今の私の人生を豊かにしただけでなく、価値観の基準となっている。

今でも、本はしょっちゅう読むが、落ち込んでいるときに本を読むと、自然と元気が出てくる。

いろんな本を読んでいると分かるが、どんな歴史に名を残した人でも、人生全てが上手くいっている人はまれだ。

何もかもが幸せで、よいことだらけの人はいない。どんな偉人にも、「人生の底」があることを知ったのは良い勉強になった。

読書は辛い時を乗り越える強い味方なのだ。

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迷える時代だからこそ

ときにふと思うが、今の時代、確信を持って「この生き方が正しい!」と思っている人がどれくらいいるのだろうか?

正直なところ、誰もが迷っているのではないだろうかと想像しているが、1つだけ思うことがある。

それは、人生という航路を無事に旅するために必要なのは、舵を自分でとり続けることなのだと思う

一時期は、誰かが舵をとってくれるかもしれないが、その行き先はあなたが望む行く先ではないかもしれない。

だからこそ、行く先を見据え、自分自身で舵を切り、前に進んでいくことが大切なのではないだろうか。

もちろん、ときに行く先を見失うこともある。そのときは、人生の航路を再検討するとき。きちんと行く先を探し、確認し、進み直せばいい。

そうやって、一歩一歩、前へ進んでいけばいいのだと思う。そうすれば、いつかきっと、闇は消え去り朝が来て、行き着く場所へたどりつく。

人生はきっと、そういうものなのだ。

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