人生に勝ち負けなんてありません。
もちろん小さな勝ち負けはあるでしょう。同僚との出世競争に勝った。今月の営業成績は負けた。でも、それは人生の勝敗とは何の関係もないこと。
もし人生に勝敗があるとすれば、生きている限り、いかなる人も決して敗者ではないということ。死んでしまったら、すべてが終わるのですから。
浅田次郎
世の中では勝ち組と負け組という考え方があるらしい。
それによると、人生で高学歴を得たり、有名な会社に勤めてお金をたくさん稼いだり、異性にモテモテな人が勝ち組で、そうでない人は負け組というらしい。
だから思うような学歴を手に入れることができなかった人。「良い」会社に勤めることができなかった人。異性にモテずに孤独な人。
つまり、人生のどこかでつまずいてしまった人は負け組という下らない言葉で、カテゴリー分けされてしまうらしい。
でもここで、「負け組?どこのアホがそんな言葉を作ったんだ?」と思えるあなたは極めて正常な価値観を持っている人である。なぜなら、人生に勝ち負けなどないからである。
何かを得れば何かを失う
冷静に考えて、「良い」学歴を手に入れたから、「良い」会社に就職できたらから、お金をたくさん稼げたから、異性にモテモテだから。それがなぜ「勝ち」なのか、不思議に思わないだろうか?
世の中では、何かを得れば何かを失う。何か価値があるものを手に入れたとしても、その裏では必ず、何かを失っている。
仕事で成功すればお金を稼ぐことができるが、忙しくなってのんびり休む時間や人生をゆっくり過ごす時間を失う。おまけに税務署からも目をつけられる。
たくさん人から好かれれば、誰か一人とじっくり時間を過ごすことが難しくなる。有名になって人からチヤホヤされれば、常に人の目を気にして生きていかなければならない。
つまり、光が当たればそこに必ず陰が生じる。単純に勝ちと負け、プラスとマイナスが必ずある。
だから、勝ち組は幸せで、負け組は不幸だとか、脳筋的に考えられるほど単純な話ではない。勝ちとか負けとか、そんなラベル付けは究極的にナンセンスである。
「勝ち」「負け」はくだらないマウンティングの道具
結局のところ、あなたに勝ちと負けを云々してくる人は、基本的にマウンティングしたいだけで、哀れで不幸な人である。
だからあなたの人生が今どうであろうと、自分が負け組だとか勝ち組だとか、そんなことを考えるメリットは一切ない。
それよりもっと大切なのは、あなたがあなたの人生で進むべき道に進んでいるか、ということである。
人は人生でそれぞれ、やるべきことがある。経験すべきことがある。それさえできれば、「勝ち組」だろうと「負け組」だろうと、そんなことは関係ない。
あなたの心が、「自分の人生はこれでいいんだ」という満足を感じることができる。それこそが結局のところ、一番大切なことである。
最後に
人生に勝ち負けなどない。だからあなたの人生に不要に干渉し、くだらない自己顕示欲を発揮してくるマウンティングマンはスルーしていい。
物事はシンプルである。
あなたが社会的に成功していようがそうでなかろうが、お金持ちであろうがそうでなかろうが、結婚していようが独身であろうが、それはあなたの本当の価値とは何の関係もない。
人生において真に問われるのは、あなたがどんな人なのか?ただそれだけの話である。「自分は負け組なんだ・・・」と少しでも悩んでしまうあなたは、ぜひこのことを、思い出して欲しい。
出典
『絶対幸福主義』(徳間文庫、2004年)