こうすれば幸せになれる、というモデルは存在しないし、昔も存在しなかった。
誰もが求めているのは、必ず幸福になれるというモデルではなく、こういう風に生きたほうが不幸になるリスクが少ない、というモデルなのだと思う。
村上龍
しっかり勉強して良い大学に入って良い会社に就職する。
そんな生き方が当たり前のモデルだった時代があった。それはいわば、「確率的に不幸になる可能性が低い」人生のモデルであった。
日本が右肩上がり、皆同じように頑張って未来を見て生きていた時代、良い会社に勤めれば待遇が良いし、長く会社に勤めれば勤めるほど、奉公の甲斐があった。
だから、その時代では、勉強して良い会社を目指すことは、とても理にかなった生き方だったのだと思う。
勝ち組人生が本当に幸せなのか
ところがである。
時代は変わり、終身雇用も崩壊、大企業が不正で問題になるような今、必ずしも勉強して良い大学へ入り良い会社へ就職することが、不幸になる確率が低い人生モデルではなくなった。
官僚とかの役人人生も同じである。
昔はある年齢まで頑張れば天下りしてあま~い汁を吸えた時代があったのかもしれないが、今天下りが発覚したら、たちまち糾弾の的だ。
先輩たちは美味しい汁を吸っている。次は俺の番だ。それで天下りが発覚して大問題になって甘い汁は吸えなくなる。
今の時代は上の方々が美味しい思いをしたからといって、自分の番が回ってくるとは限らないのだ(世間がそれを許さないだろう)。
自分にウソをつかない生き方を選ぶ
良い思いができる、少なくとも不幸にならない確率が高い人生モデル。程度の差はあれど、どんな生き方を選んでも、最後の最後はどうなるか分からない。
それだったら、自分の思う通り、思う存分に生きた方がいいのではないか。最後には、幸せになれるのではないか。
そんなことを思う。
いくら世間的に得をしようが、卑怯なこと。せこいことをしていては幸せは遠のくばかり。
だから、自分の心に正直になる。自分に恥じない生き方をする。それが最終的には、不幸になる確率が低い生き方なのである。
出典
『恋愛格差』(幻冬舎文庫、2004年)