日本人が幸せを感じにくい本当の理由

スマホをいじる日本人

「人は幸せになるために生きている」

ある人はそういうが、日本人の多くは不幸を感じている?

幸福についての真実とは。

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不機嫌な日本人

とある機関が発表している世界の幸福度ランキング。不思議なことに、いつも日本は低い順位にランキングされている。

日本人が幸福か不幸か、その真実は疑問だが、幸せを感じられる人がどんどん少なくなっているのはあるのかもしれない。

無縁社会に格差社会、不機嫌な職場にリストラによる経済不安。高齢化社会に年金の問題、政治の問題、今の日本社会は、とても複雑な環境にあるのは間違いない。

21世紀は、1945年の終戦以来日本人が目指してきた理想社会の結果。それはすなわち、個人の自由と権利が尊重される社会だ。

今の社会は、個人の自由や権利を基盤に、それぞれ自由や利益を求めることが保証されている。

それは、言い換えれば「個人が幸福を求めることが許されている社会」と言える。

戦後の日本社会は、あらゆるしがらみを断とうとした。面倒な家、家族、地域、会社の縁など、ありとあらゆる価値観etc・・・。

その結果、確かに日本人は自由になったが、新しい問題も発生た。人が地域や社会の中で孤立していく、無縁社会の到来である。

日本人の人間関係

もともと日本人のつながりは場所での縁(家や学校、会社)が中心だった。それは、所属する組織=その人のアイデンティティという関係だ。

人は集団に参加することで教育を受け、その集団の一員として成長していく。

この意味で人は、生まれながら自由でな存在ではなく、ある特定の社会を基盤に生きていくことを運命付けられている。

日本では、会社(もしくは学校)という組織に入り、そこの場の価値観が、その人のアイデンティティそのものだった。

しかし、時代の変化とともに、日本人のアイデンティティはあいまいなものになっていった。

本来、個人の幸福追求は組織との対立を引き起こすものだが、かつて、個人の幸せが社会や家族の幸せとリンクしていた時代があった

それは個人の幸せ追求と会社の成長が同じベクトルを向いており、個人と家族、組織がつながっていた時代。いわば、目に見える幸福があった時代だ。

しかし、その時代は終わり、もはや組織の成功と個人の成功はイコールではなくなった。

結果的に人は「個」を追求する時代になった。求めるものに応じて職場を変えていくキャリアアップという考え方は、その典型なのかもしれない。

しかし、個人主義は自分のための権利を求め、結果として、しがらみ(組織や家族、人々)と対立する構造になっていく。

しがらみが壊れ、個人の自由が増えれば増えるほど、人は孤独になり、人と疎遠になっていく。

幸福を比較する社会

人は、個人としての自由と権利を追求していけばいくほど、必然的に他の人から孤立せざるをえないもの。

自分の好きな通りに生きて、人とも上手くいき、家族とも仲良く生きていけるというのは幻想なのかもしれない。

現代社会は、人は孤立していて、競争にさらされている。それだけでなく、生き方や幸福さえ他社と比較される時代。

勝ち組と負け組、たくさんのお金を稼ぐ人が幸せな成功者であるというように、幸福の基準さえも競争の材料になっている。

しかし、問題は別のところにあるのかもしれない。すなわち、人は生まれながらにして不平等であるという現実だ。

金持ちの生まれのもの、才能があるもの、人はそれぞれ、バックグラウンドが違う。あるものは「成功」に近いところに最初からいて、ある人は遠いところから人生が始まる。

幸福は主観的なもので、人によって何が幸福かは違う。その主観的な幸福でさえ人と比較してしまうことに不幸の原因があるのかもしれない。

他者の幸福を基準に幸福を求めたら、幸せになることは不可能だ。アイデンティティを失い、不安定な状況に置かれているのが、我々現代人の問題なのかもしれない。

最後に

幸福に他者の基準を求めないこと。

それを考えれば、今後日本で幸せになる道はシンプルだ。人は人。自分は自分。この当たり前のことを徹底していく。

友達の人生がどうだろうと、家族の人生がどうだろうとそれはそれ。自分は自分で、幸せを感じる道を探していく。

結局自分の人生は自分しか歩めないのに、なぜわざわざ、他の誰かの人生と比較する必要があるのだろうか?

その当たり前のことに、今こそ気づくときなのかもしれない。

参考文献

佐伯啓思『反・幸福論』

五木寛之『新・幸福論』

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