人間は他人を妬む者、嫌う者、排斥する者、差別する者・・・であり、しかも自分はそうされたくない者、幸福を求めながらも、不幸を招き寄せる者、他人の幸福をかならずしも願わずに、往々にして不幸を願う者、極めてエゴイスティックであると同時に、自己犠牲の物語には感動する者、ずるさや卑劣さを嫌悪しながら、しばしばそれに従う者・・・という人間の内なる豊かな不条理をもっともっと教えるべきだと思います。
中島義道
人間がもともと善なのか悪なのか、いろいろ議論はあるが、ただ一つ言えることがある。
それは、
「もし世の中がいい人だらけで、皆が皆、人のことを思いやり、協調的に生きていくことができたら、世の中は今とは別の形になっているに違いない」
ということだ。
なぜ理想論者はタチが悪いのか
犯罪もなくなって、警察も不必要だし、過当競争、脱税も起こらない。戦争なんて起こず、ジョン・レノンが歌う「イマジン」のような世界が実現するかもしれない。
しかし現実は理想とは違う。
人は皆自分第一で、わがままで理不尽で不平等で残酷だ。怠け者で人を妬み羨み、幸せな人を憎む。いじめもあるし犯罪もある。
世の中、善い人が存在しているのは確かだが、そのような人はむしろ例外的と考えた方がいい。
人間の現実、負の部分を見ようとせず、人間のあるべき理想論ばかり語っていると、
「お前の頭はハッピーセットかよ」
と現実から罵倒されるだけである。
まずそこに現実がある。それを認めた上で
人間がいかに残酷で支離滅裂か、そして人が不平等で不公平であるか。
人間の悪の部分を前提に「人間とはこういうものである」と考え方が、世の中は生きやすくなる。
この意味で性悪説は感じが悪い。しかしそれは確かに、実用的な考え方だと思う。
人から騙されたり傷つけられたり、不幸にされない方が絶対にいい。
だからこそまず性悪説。
人を疑うからこそ、人の素晴らしい姿を見抜くことができるのである。
出典
『ひとを<嫌う>ということ』(角川書店、2003年)