関わってはいけない人と関わらないという最高の勇気

美しい女性の横顔

世の中には、こうあるべきという理想と、実際の現実があまりに乖離している悩ましい問題がたくさんある。

例えば人間関係。

私達日本人は基本的に性善説であり、人はみな、本来はいい人であると考えるように教育されている。

誰だって、腹を割って話し合いをして、誠心誠意対応すれば、人として理解し合える。そう教えられてきた。

そして、その考え方は非常に美しいし、尊重し、大切にする価値がある考え方である。

実際にこの話が事実なら世の中はきっと、素晴らしい場所になっているに違いない。

はじめに

ところが。

現実を冷静に見ている人はすでに気づいている事実がある。

それは、世の中にはとんでもない悪い奴がいて、誠心誠意分かり合う努力をしても絶対に分かり合えない人がいる、という事実である。

平気で約束を破る。人を傷つけ、人のものを奪う。自分の利益のためになるなら嘘八百。人を騙しても良心は何一つ痛まない。

すべては自分さえ良ければいい。誠実さ。正義。善はどこにも見えない人が存在している。

この手の人たちと、

「人はもともと善なのだ。彼らと理解し合うために、こちらが誠心誠意を尽くして対応すれば、きっと仲良くやっていける」

と信じたらどうなるか?

人間不信になるくらいならまだ被害は小さい。幸運である。

実際は、人生でリアルな実害を被り、現実を見ようとしなかった代償を、その身で支払うはめになるだろう。

自分の安全は自分で守る!

世の中は決して良い人だけが暮らしている場所ではない。

この現実がある限り、我々が傷つき、奪われないためにすべきことはただ1つである。

すなわち、理想論ではなく、現実論によって、付き合う人。関わる人を選ぶのである。

ただ、これを表で堂々と宣言すると、理不尽に非難されるリスクがある。

そのため、「私は付き合う人を選んでいます」と宣言する必要は全くない。表面上は中立を装うのが安全だ。

そこは日本人的な賢さを発揮すればいい。そして現実に従って、関わるべきではない人と、そっと距離をおけばいい。

それは、街を歩いているとき、「いかにも」な人が歩いてくる来るのを見たときに、そっと道を変えるのと同じこと。

自分の人生は安全第一。自分の人生を自分で守る必要がある。ただそれだけの話である。

分かり合えない人は分かり合えない

世の中の悲しい理不尽の一つは、本当に心が優しい人。

「人はみな兄弟」とか、人類愛に満ちた純粋な人が理想と現実を混同するあまり、根っからの悪い人たちに傷つけられてしまうことである。

性善説に則って、「分かり合える。信じ合える」と強く信じるがゆえに、人生で実害を被ってしまう。

それは本当に悲しいことである。

だからこそ、誰が安全な人で誰が危険な人なのか。冷静な視点で現実を見ることは絶対大切なことである。

なぜなら危険な人と知らずに付き合ってしまったがゆえに文字通り、人生を台無しにされてしまう。

そんな理不尽がこの世には存在するからである。

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現実を見ることが人から不幸にされないカギ

綺麗事が綺麗事なのは、現実を一切無視するからである。

現実を無視すれば、そこで被害を受けてしまうのは避けられない。そして、綺麗事を言う人は現実の被害に対して、一切の責任を放棄している。

彼らは理想を口にするが、現実に対しては一切の責任を持たない。

あなたが彼らの理想を信じて被害にあったとしても、彼らは決して、その責任を取ることはないだろう。

悪はどう否定しようとも、世の中に存在している。だからこそ、自分の人生に責任を持てるのは、自分以外いない。

すなわち誰が安全で誰が安全でないのか。誰と一緒にいるべきで、誰と一緒にいるべきでないのか。

誰と関わるべきで、誰と関わってはいけないのか。それを現実的に判断することが大切である。

最後に

世の中には人を傷つけて平気な人がいる。自分のためだったら、人を裏切ること。だますこと。傷つけること。

平気で悪を実行できる人がいる。その現実を直視すれば、無防備に悪の被害者になるリスクを抑えることができる。

気分が良くなる話ではないが、人生は長い。そして人生ではいろんな人と出会う。そして、出会う人すべてが良い人とは限らない。

その当たり前のことを、忘れないようにしたい。自分の人生を、自分自身で守るために。

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