「清貧の思想」からは、何も生まれてこない。もっと豊かになりたいと思うから、人は創意工夫し、努力を重ね、成長する。
貧しくても心が豊かならよいというのは、豊かになった人だけが言える戯言。
「貧すれば鈍する」という言葉もあるが、かつかつの生活をしていて、ほんとうに有意義で充実した人生が送れるだろうか。
柳井正
世の中にはびこる偽善のなかで特に有害なのは、
「人生で大切なのは心の豊かさである。心が豊かでいれば、それでいい。お金を追うのは愚かである」
というお金軽視の思想である。
確かに心の豊かさは大切だ。
しかし心の豊かさは、経済的豊かさと比例傾向があることは、否定できない現実である。
それは今すぐ、犯罪者と貧困率の関係を調べれば、一目瞭然である。
確率論的に言って、お金を持っている人よりも、お金を持っていない人の犯罪率が高い。
この事実を無視して、どうして、お金抜きに心の豊かさについて語ることができるだろうか?
本当に正しいこと
綺麗事はいつでも、どんなときでも、100%耳障りがいい。
しかし、綺麗事ばかりを言う人の話を鵜呑みすれば、人生において極めて有害な影響を受ける。
逆に、良薬口に苦し。
本当にためになる現実を知ることは痛みが伴い、人によっては激しい不快感を感じるだろう。
しかし現実を見なければ何一つ、本当に人生が変わることはない。
耳障りのいい綺麗事ばかり信じていても、空想の世界で自分の人生を浪費するだけである。
つまり、心の豊かさ云々を信じてお金を軽視するのはマズイ、という話である。
お金は必ずしも正義ではない
もちろん、お金さえあれば人生が成功する。絶対に幸せな生活を送れるかというと答えはもちろん「No」である。
それは、従業員の首を切りまくって彼らと彼らの家族の生活を破綻させ、自分だけ莫大な報酬を手にしていた某経営者の背信行為を見れば一目瞭然である。
結局、心が貧しく品性が卑しい人が莫大なお金を手に入れても。人の欲にはきりがない。人として最低レベルまで堕ちるだけだ。
彼はきっと、経済的には素晴らしい暮らしを手に入れたかもしれないが、精神的には最悪に不幸な人生を送っているかもしれない。
このような悪い例は確かにあるが、だからといって、経済的に豊かな暮らしを否定するのは間違っている。
自分の面倒は自分で見ることができる。自分の家族に安心して暮らせる生活を手に入れる。
安定した土台を持ってこそ、人生をより良く生きることができるのである。この意味で、もっと豊かになりたい。お金を稼ぎたい。
その欲は、正しく使えば人生を素晴らしいものにするための、大きなエネルギーになるのである。
欲しいものを欲しいと認める勇気を持つ
今持っているもので満足する。
それで本当に満足できるのか。自分の人生それでいいのか。家族を安心して守ることができるのか。
自分の心にウソをついて、自分を成長させる努力を怠っていないか。よりよい人生を目指すことをあきらめていないか。
そのことについては常に誠実に、自分自身と向き合いたい。
心の豊かさとか、そんな綺麗事は口だけでいい。大切なのは実際の人生がどうなのか。本当に心から、自分自身が納得しているか。
そこが肝心である。
運に見放され、貧しい暮らしを強いられているときは仕方ない。ただし常に臥薪嘗胆。豊かな人生をあきらめてはいけない。
今よりもっと良くなりたい。その気持さえあれば、道はいつでも開けるのだから。
出典
『現実を視よ』(PHP研究所、2012年)