遺伝子格差は否定できない現実。だからこそ自分は自分で勝負していく

魅惑的な美女

よく、自己啓発の世界では、「人は自分がなりたい人になれる。努力すれば何だってなれる」と力強い、希望に満ちたメッセージが発信されている。

それを信じることで、「自分もやればできるかも!?」と未来へ希望を持つことができる。

が現実問題、人生は不平等だと思う。

イケメンや美女は格別努力したから美しい顔を手に入れたのではない。それはただ遺伝子の結果にしか過ぎない。そこには、ブサメンやブスが努力では覆せない壁がある。

容姿だけでなく、才能、身長、モテ度、このような不平等は現実でたくさんある。

努力するのはムダとは言わないが、かといって「努力すれば何でもできる」と期待を煽るのもどうかと思うのが正直なところだ。

筆者はむしろ、そのような不平等な現実があることを前提に、考えた方が、むしろ自分の適正を生かせるのではないかと考えている。

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勝ち目がない戦いはつねに絶望的だ

たとえば筆者は人見知りをしてかつ口が上手くないので、ナンパ師やヤリ○ンのように気軽に女性を口説くことができない。慎重に行動しすぎるため、連絡先を聞くのも時間がかかる。

好きだった女性にアタックしようとしていても、すぐに行動の早いイケメンに好きな女性を奪われることもしばしば。

こういう経験をしていると、「女性を口説くのも一種の才能。口説きが得意な男には勝てないな」と納得してしまう。

そのため、自分が勝てない場所、才能がないところはさっさと自分を見切って、自分の良さを生かせる場所を見つけるように工夫している。

それによって、筆者は自分の生き方を見出し、平穏で小さなものながら、人生を謳歌している。これもある種の適応戦略だと思う。

こういうことを考えると、才能とは努力できることではなく、努力なしに自然とできることなのだとつくづく思う。

自分が自分でいられる場所を見つけること

努力が必要なことは、むしろ適正がなくて、その才能がある人間には絶対に勝てない。だから「極論すると努力はムダである」と言っても、そこに真実があるのも否定できない。

もちろん、努力によってある程度磨くことはできる。しかし、仕事などのように、他者と競争を強いられる場面では、結局才能がある者が勝つ。

そして、この世は資本主義の競争社会なので、ずば抜けた才能を持つ者が、一番美味しいところをかっさらっていく。

だから自分をこの世の中に適応させていくためには、努力しなくてもそこそこ結果が出せることを見つけることが、ある意味自分を生かす最善の方法なのかもしれない。

何だかんだいって、報われない努力は虚しい。結果あってこその努力だ。それならやっぱり、結果が出ることを頑張った方がいいし、幸せを感じられる。

最後に

繰り返すが、努力は美徳だ。素晴らしいものだ。

だから、ただ努力するだけでは不十分だと思う。努力するならするで、「努力が報われるか?」という視点は持っていたい。

それはすなわち、自分の遺伝子的な能力が開花するかどうか、冷静に見極めることでもある。

自分ができることはやるし、無理そうなことはさっさと諦める。

それによって、人生をムダにする確率も減るし、自分の能力や適性を見分けることで、自分にとっての約束の場所を見つけやすくなる。自分は自分で勝負できる。

勝てない戦いならさっさと降りていい。そのかわり、自分が勝てる場所を全力で探していく。これがこそが、「自分を知る」ということなのだと思う。