人は若いとき、自分に対して様々な希望を抱く。
しかし、ある年齢に達すると、おおよそ自分の限界というのが見えてくる。ときにそれを認めることは、とても残酷な現実かもしれない。
そして、それを否定して、
「自分はもっとできる!」
と自分を絶対に諦めないのも生き方の一つだ。
しかしもしあなたが、「自分はこの程度、出世も見込めないかもしれない」と自分自身に対して諦観してしまっているなら、生きていくために、こんな努力の方法もある。
才能よりも頼りになるもの
世の中、才能があるヤツは本当にすごい。人ができないことをいとも簡単にできるようになっていく。そんな才能があるヤツは成功するし、良い思いをすることも多い。
しかし、才能がないからといって人生を諦める必要などない。才能がなくても、出世して会社で良い思いができる地位に上り詰める人だっている。
彼らの特徴は、自身の能力というより、真面目さや勤勉さなど、いわゆる「誠実なキャラ」を売りにしているところだ。
上司にとっては絶対に裏切らない部下。手駒となって確実についてきてくれる部下。部下にとっては自分を見捨てないで守ってくれる信頼できる上司。
つまり、飛び抜けた才能がなくても、自分の売り込み方を工夫すれば、どこかで美味しい思いができる。
特に、周りから「こいつは信頼できる」という評判が得られれば、仕事にあぶれることはないだろう。
だから才能を追求するよりも、自分が周りにとってどんな人間に思われるか、自己演出法を追求していく方が、案外生き残る道が見えてくるかもしれない。
最後まで生き抜く、それさえできれば
また、こんな方法もある。
会社人生は長い。最後に勝つ者は、最後まで生き残った者と決まっている。そこで、どんなときも会社から切られないよう、ひたすら勤勉さを貫く。
才能がある人間というのは知らず知らずのうちに周囲から反感を買ってしまい、案外途中で脱落してしまうことが多い。特に会社ではそういうケースが良くある。
だから、周囲の反感を買わずに会社で最後まで生き残っていくことができれば、最後の最後で大逆転することもあるかもしれない。
そのためには、ひたすら真面目で誠実なキャラを演じ、自分の才能を頼むよりも、生き残りに全力を注ぐ。こんな処世術もある。
だから才能のあるなしで、人生を諦める必要などないのだ。才能はあればあったで、いろいろ面倒なこともあるのだから。
最後に
人生長い目で見ると、才能があるか、能力があるかどうかなど、もしかしたらそれほど重要なことではないのかもしれない。
そう言ってしまうと語弊があるのも確かだが、早い話、才能などなくても、処世の方法によっては十分生きていくことができる。
特に、誠実さや勤勉さ、周囲から信頼される人間になることができれば、能力があろうがどうであろうが関係ない。
人は信頼できる人を周りに起きたがる。人から信頼されるということはすなわち、人から必要とされるということだ。
それはときに、才能以上、生きていく上で頼りになる。つまり人生で役立つのは誠実さと勤勉さ。この2つさえ持っていれば、何とでもなる。
「才能がないから」「能力がないから」といって、自分を卑下する必要はない。生きる残る道はいろいろある。
そのことは長い会社人生、知っておいて損がないはずだ。