仕事のために健康を犠牲にする。それは本当に正しいのか?

もっとリラックスして

52歳の親戚の男性が突然死した。

月2回の海外出張という忙しさに加え、新しい社長との軋轢に悩み、どんどんやせ細っていく日々。そしてついには、という状況だったようだ。

男性には妻と高校生の子どもがおり、残された家族のことを考えれば、無念だったに違いない。

仕事で無理をして健康を犠牲にし、命を削る。

こういう話を目の当たりにすると、仕事とは何なのか。自分の命を削ってまで続ける仕事があるのか。ほんとうに、疑問に感じてしまう。

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仕事で不幸になるくらいなら

私自身、幸運にも20代という早い段階で、組織で働くことの理不尽さや辛さをその身で実感することができた。

だから、「どんな仕事をすれば」人生幸せに生きていくことができるのか。真剣に考えざるを得なかった。

紆余曲折の結果、自分自身が100%コミットできる仕事と出会い、日々自分らしく生きている。

もちろん、売上のことや将来の不安はある。それでも、20代の頃に味わった理不尽満載。胃に穴が空いたストレスだらけの日々に比べれば、全然マシである。

この経験から声を大にして言いたいことはただ一つ。限界まで追い詰められるような仕事をすることそれ自体が間違っている、ということである。

無理なことはどう頑張っても無理!

不幸な仕事をしているときは、どれだけ自分に嘘をついても、その不幸は隠しきれない。

まず人相が荒む。ついで心もギスギスする。休日も安心できない。明日のことを考えること心に冷たい風が吹きすさぶ。体もだんだんと、悪くなっていく。

人の体というのは本当に素直で、「もう無理です」と声を上げてくれる。それを無視して頑張り続ける代償は大きすぎる。

命を削って無理を質付らなければいけない仕事など、即刻辞めていい仕事である。

毎日仕事に行くだけで不幸になる。病気になる。それはその仕事を続けるにあたって問題がある決定的証拠である。

それともう1つ、世の中には、常に誰かが病んで働けなくなってしまう職場がある。

そのような環境は個人の努力とかそういう問題ではなく、誰かを犠牲にして組織がまわっていく環境になっている。

だから誰かがその負担に耐えきれずに退職し、誰か新しい人が入ってきたとしても。また別の誰かが犠牲になる。

それは、そういう環境だからである。

すべての仕事は「代替可能」

一時的に収入が下がろうが、生きている限りお金はまた稼げる。

だから人生命あってこそ。「もう無理だ」と体が悲鳴を上げた段階で、そんな仕事は即刻辞表を出していいのである。

すべての仕事は代替可能である。しかしあなたの人生はあなただけしか歩めない。それなのに、仕事で人生を奪われるのは理屈に合わない。健康を犠牲にしてまで続けるなど、どう考えても間違っている。

この点、仕事選びは「周りへの迷惑」を考えることも当然だが、それは程度による。追い詰められ、「もう無理!」となれば、是非もなしである。

営利重視の私企業の仕事のためにせっかくの人生を台無しにするなんて、割に合わなすぎる。

不安の先に幸せはある

仕事をやめれば収入は一時的に途絶える。その後、再就職するにも、苦労することは避けられない。それはものすごく怖いことかもしれない。

でも命は守られる。そして、生きてさえいれば必ず、「あの不幸があったからこそ今が・・・」というような、喜びを実感できる時がやって来る。

しかし、無理な仕事で自分自身を燃焼させ寿命を削ってしまったら。強制的に人生は終わってしまう。

そうすれば、本来経験できた、生きることの素晴らしさを味わう様々なチャンスを、永遠に失ってしまう。何より、あなたのことを思う大切な誰かを、深く悲しませてしまう。

これほど不公平な取引はない。

最後に

逃げられる仕事なら逃げていい。

仕事を辞めて無職になって、一時期収入が下がったとしても、そんなことは、長い人生、大した問題ではない。

日々過労とストレスで寿命をじわじわ削られて、本当に大切なものを守れなくなってしまうより、逃げて生き延びる方がずっと良い。

人生不幸のどん底を味わうことになったとしても、生きてさえいれば、また幸せなときがやって来る。しかしそれは命あってこそのこと。

たかが仕事のために自分の命を犠牲にする必要など、1ミリもないのである。

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