リストラしても経営者は責任を取らない現実

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経営戦略を練る男

会社の数字には、ヒトの数字とモノの数字がある。

仕入れ単価を抑えるモノの数字ならいくら減らしてもかまわん。だが、解雇を伴うヒトの数字を減らすのなら、経営者としての”イズム”がいる。

青島毅

1990年代、リストラという言葉が世の中に登場し、今ではそれが、当たり前の言葉として定着した。

会社は利益を出す。

そのために、「不要なコスト」をカットして、無駄を徹底しなければならない。そうすれば会社の業績は伸び、経営者の評価も高まる。

これは至極全うな経営判断なのかもしれないが、人は本当にコストなのだろうか?数字で置き換えられてしまう、そんな存在なのだろうか?

否、それは絶対に違うと思う。

企業と言えど結局は人の集まり。人が関わるからこそ、会社が生き物として動くことができる。

つまりは人は城人は石垣人は堀。

「コストカット」を大義名分にして人員整理を推進した企業が一体どうなったか。その事実を知れば、現実は明らかだ。

人を疎かにする会社は、経営者が儲かるかもしれないが、会社としての発展はない。

確かになかには、「無駄飯食い」のような社員もいるかもしれない。不良社員を切ることで、周りに良い影響を与える場合もあるかもしれない。

それでも、人を切るときは必ず、それ相応の代償が必要だ。数値以上の予測不能な影響が現れる。名経営者はそのことを知っている。

だからこそ、安易に「コストカット」や「財務状況の改善」を大義名分にリストラを叫ぶ経営者の言説は用心した方がいい。

そもそも、そのような状況になった本当の責任は誰にあるのか。それを考えれば、もはやこれ以上語る必要もないだろう。

会社では本当に責任を取るべき人が責任を取らず、責任を取らされるのは責任を取る必要がない人である。

そんな会社に未来はない。人を疎かにする者に、決して明るい未来は待っていないのだ。

出典

『ルーズヴェルト・ゲーム』(講談社文庫、2014年)