大人の世界にウソは必要。サラッとウソをつけるくらいの柔軟性は持っていい

妻にウソをつく男

大人の世界には嘘が必要なのさ。

フレッチャー

正直は美徳である。

決してウソをつかず、誠実な態度で人と向き合う。それは人間としてあるべき姿なのかもしれない。

しかし実際問題、この世の中を生きていく上で、誠実さだけではどうにもならないこともある。

ときに口八丁手八丁、巧言令色が必要とされるときもある。

ウソをつき、黒を白といい、白を黒と言うべきときもある。周囲に迎合したり、ときに相手を「よいしょ」するお世辞の一つくらいの柔軟性が必要だ。

何でもかんでもバカ正直にまっすぐに生きていたら疲れてしまう。そして、まっすぐでいようとするがゆえに、ある日ポキっと折れてしまう。

だからウソをつかず誠実な態度で人と接していくのも人間的美徳かもしれないが、ケースバイケース、人に応じて言動を調整するくらいの柔軟性は許されるはずだ。

もちろん、人を騙して陥れるようなウソは非人道的だ。

しかし、人を傷つけないウソとか、気遣うウソとか、空気を読むウソとか、いわゆるホワイトライなら罪はない。

大切なのは正しいかどうかというより、その場で適切に自分を相手に調整できるかどうかだ。

ウソで人の気分を良くできるなら、その場の雰囲気を和やかにできるなら、喜ばしいことではないか。

必要なら人を傷つけない範囲で、サラッとウソをついてもいい。それが大人の流儀というやつなのだから。

出典

『ライアー ライアー』(1997年)