最初から「人は分かりあえない」と考える。だから傷つかないし、苦しまない

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仲良しグループ

相手を理解できないということを前提に付き合う方が、理解できると思って付き合うよりも安全です。

相手を理解することは元来不可能なのだと思うところから始めるのです。これは相手のことをまったく何一つ理解できないという意味ではありません。

それくらい慎重であってもいいということです。

岸見一郎

人生最も難しいのは人間関係である。

人は人で、皆それぞれ違う。価値観。考え方。行動の目的。誰もが皆、この世の中を生き抜かんとする意思を持ち、行動している。

だからこそ世の中は難しい。誰もがみな、人間関係で苦しみ、悩む。

この現実に即して対処する上で大切なことが一つある。

それは、「努力すれば、お互いを知ろうとすれば、人は分かりあえる」という理想論を捨てることである。

そして最初から、「人は分かりあえない」ということを前提にすることである。そうすれば、逆説的だが、私たちは分かりあうことができる。

人は人で、皆違う。にも関わらず、「分かりあえる」と考えることは怠慢であり、傲慢である。そしてそれは期待という名の甘えである。

その結果は明白で、「分かりあえる」と勘違いした結果、コミュニケーションに行き違いが生じ、それが致命的な問題へとつながっていく。

ところが、最初から分かりあえないことを前提にしているならば、ミスコミュニケーションがあっても、それに憤慨することはない。

なぜなら最初から分かりあえていないことを前提にしているので、相手に過大な期待を抱くことがないからである。

そして、お互いにそのすきまを埋めようと、現実的に対処することができる。だから上手くいく。

この原則を個人の人間関係に適応するならば、次のことが言える。

大切なのは、どんな距離が近い人でも、決して分かった気にならないこと。家族でも友人でも恋人でも、「私はこの人を理解できる」と勘違いしないことである。

そして、「私のことを理解してくれるはず」という、一切の期待を捨てることである。

つまりは、「私は人のことを理解していないし、人も私のことは理解してくれない」と最初から考える方が現実的であり、かつ安全である。

この意味で、「人は分かりあえない」と考えることは、そう悪いことではないのだ。

出典

『愛とためらいの哲学』(PHP新書、2018年)