長い人生は本当にいろいろある。
できれば、良いことだけ。幸せなことだけが起こって、人生がめでたしめでたしになればいいのだが、実際そんな美味しい話はあり得ない。
ときに、「なぜ自分だけがこんなめに遭うのか・・・」と膝を抱えてしまうようなどん底を味わうはめになる。
見える景色は灰色になり、何一つ希望が見えない。ただ苦しいだけの日々に絶望する。そんな暗黒の日々がやってくる。
なぜ人生は幸せだけを経験できないのか
しかし状況は常に変わっていく。どんな暗黒の日々もやがては消え去り、また光が見える。それだけは確実だ。
だからこそ大切なのは、「人生どんな経験も無駄はない」という人生法則を忘れないことである。
自分のこの苦しみには意味がある。こんな最低な経験も、自分にとって必要なことだから経験することになったと信じることである。
つまり、あなたの苦しみには意味がある。その苦しみを経験することになった必然性を信じることである。
だから、あなたが苦しいとき、それは決して無意味ではない。その苦しみから逃げず、その苦しみを味わい尽くすのだ。
そこから初めて見えてくる何かが、必ずある。
人生何一つ無意味なことはない
例えば筆者の人生は失敗に続く失敗、失望に次ぐ失望の連続であった。
10代から抱いてきた夢は破れ、大学を出たものの就職は失敗し、可能性ない女性に恋をして人生の貴重な2年間を無駄にし、人生で嫌というほど失望を味わうはめになった。
だからこそ、自分が味わった数々の失望と絶望が、無意味であったとは絶対に思いたくはなかった。
もし、自分が経験してきた失望や絶望、これらが全て無意味であったとしたら、それこそ、人生に生きる価値などない。
だからこそ、全ての苦しみに意味があると信じたかった。そしてそれは実際に意味があったのだ。
全ての挫折や死亡は、今の自分の道を形作る舗装となった。なぜそのときあのような苦しみを味わうことになったのか、その意味がようやく理解できるようになった。
これはとても大きな気づきだった。
必要なことは必ず経験する
「この道のほか生きる道はない!」と思っていた夢の挫折。
ただ普通に生きたかっただけなのにそれすらできなかった就職の失敗。
出会いと同時に「結婚」の二文字が頭によぎった女性との失恋。
数え切れないほど人生に失望をし、辛酸を味合わされたが、それらは、全くの無駄ではなかった。苦しみには意味があった。
そのことに気がつくことによって、筆者の人生観はガラリと変わった。それは30歳をこえて、ようやく理解できたことの一つだった。
だからあなたに声を大にして伝えたいのは、人生は決してどんなときも無意味ではない、ということである。
もし苦しいなら、その苦しみを否定してはいけない。苦しみ自分を見つめ、それをとことん味わうことである。
今自分の人生がいかに最低で、救いようがないか。どん底であるか。そこから目を背けないことだ。そして、とことん落ちている自分を認めることだ。
希望は常にある、たとえそれが見えなくても
不思議なことに、底の底まで落ちたとき、初めて救いの光が差していることに気がつく。このときが、あなたの人生が上向き始める変化のタイミングである。
今まで経験してきた様々な苦しみや苦労が、決して無意味ではなく、なぜ経験することになったのか、その必然性に気がつくことができる。
そう、「すべてはこのためにあった」ことに気がつくときが来る。
だから人生には無駄はない。人生ではそれぞれ、必要なことを学ぶことになる。必要なことを経験することになる。
それは決して自分の意志ではどうしようもできないことかもしれない。しかし決して無意味ではない。どんなときもそれだけは、絶対に忘れないようにしたい。
苦しみも悲しも、虚しさも絶望も、全ては必ず意味がある。あなたがそれを経験すべき必然性がある。理由はいつか、必ず分かる。
「人生は意地悪だが、決して無意味ではない」
この記事が、あなたがそのことに気づくきっかけになれば幸いである。