人生には選択のときがある。
その選択をすることによって、文字通り、自分の運命が完全に変わってしまう。
それはいわばリスクテイクである。
つまり、今までの安全の道を捨て、自分の本当に目指す人生へ向かうか。それとも安全第一。不満を我慢しつつ、今のまま現状を維持していくか。
その選択の問題である。
仕事を今すぐやめるリスク
例えば転職。
仕事をしていれば、多かれ少なかれ、必ず不満や不安がつきまとう。
本当に自分は今の仕事を続けていてもいいのか。それとも、もっと幸せになれる仕事があるのではないか。
そんな不安を感じるのがそもそも、当たり前のことである。しかしだからといって、安易に仕事をやめるのはリスクが大きすぎる。
もちろん会社にいることが安定とは限らない。会社にいることが安定していると考えるのは今の時代、お花畑すぎる。
しかし、かといって短絡的に独立を考えるのもまた早計である。
近年やたらと「会社をやめて独立する人生が素晴らしい」とか「自由な自分サイコー」的な主張が散見するが、このような声を無邪気に信じて独立。
実際それで、人生が詰んでしまう人も少なくないからだ。
全ての責任は自分が引き受ける
確かに、会社に雇われず好きなことをしてお金を稼ぎ生きていくことはできる。自由に生きることはできる。
その声にウソはない。
しかし、誰もが皆、好きなことをして生きていくことはできない。自由に生きることはできない。
それをするためには、「何が何でも、自分は自分の生き方を選択して、その責任を全て自分で背負う」という覚悟が必要だからである。
それに絶対に覚えておきたいことは、自分の好きなことをして食っていく。
そうやってあなたに夢をたきつけた人は、あなたが独立して万が一失敗しても、絶対にその責任を取ってはくれないということ。
独立して成功しても失敗しても。すべての結果を自分で責任を取らなければいけない。
だから具体的なプランや覚悟もないままに仕事をやめてしまうのは、くれぐれも「やめておけ」と注意を促したい。
なぜなら、覚悟がない退職は、のちに不幸と不安しか引き寄せないからである。
逆境の先に見つけた天職
例えば、私は今、ウェブメディア運営の仕事に従事。完全結果主義の世界で、自分の責任を持って日々の糧を得ている。
別に最初からそういう生き方をしようと思っていたわけではなくて、結果としてそうなった、という話である。
もともとは安全第一。大学生の頃は教育公務員を一本で目指していたが、二次試験で不合格をくらい就職で失敗。
その後長らくワーキングプアとして、未来ゼロのどん底の暮らしを経験した。
周囲の友だちは社会人として人並みのお金を稼ぎ、なかには結婚して家庭を築くものもいる。
にも関わらず、自分は全然お金を稼げず、実家でくすぶる日々。具体的な収入で言えば100万~200万。
20代のあの頃を思い出せば、本当に惨めでまさに人生の底。長い長い、逆境の日々だった。
自分の人生に期待しなくなったとき起こること
毎日、何をしてもダメでうまくいかないことが続くとき。人は自然に、「自分の人生はこんなものだ」と自然にあきらめることを覚えていく。
私もその例外ではなく29歳になり、30歳を目前にした頃。
「もう最低限でいい。静かに安定して暮らしていければいい」と思い、転職を考えた。そして、教員資格を持っていたので自治体の臨時教員紹介所に登録。
すると、2つの自治体から「新年度からうちで働いてくれ」と連絡があり、臨時ではあるが、仕事を手に入れることができた。
この選択が自分の人生を完全に変えてしまった。
もしここで、仕事が我慢できる程度の負担であったなら、自分は今、文章を書いて自由に、かつ自分の人生に納得して生きていくことはなかっただろう。
不満がありつつも、「人生はこんなものだろう」と思って生きていくこともできたかもしれない。
今でもきっと、教育公務員を続けていたかもしれない。ところが、自分には違う人生が用意されていた。
どん底は人生が上向く転換期
この話については何度も書いてきたが、何度書いても書きたりないくらい、人生最悪の体験をすることになった。
それは、労働的、肉体的、精神的。あらゆる面において、自分の人生観を覆すには十分な、最悪の体験だった。
つまり世の中にはこんな最悪の環境がある。人生が文字通りめちゃくちゃになってしまう仕事があり、生き方がある。そのことを身を持って、体験させられた。
その地獄を味わい気づいた。
「別に、仕事なんかで自分の人生を終わらせられることはない」
ということを。
4月から8月の勤務で8月末日で退職。その後9月、これからの人生を考えようと旅に出た長野県川中島古戦場跡でのこと。
もう二度と、あんな最悪の日々は送りたくないと心に誓った。
そして決めた。何があっても自分にとって最高の仕事をしよう。自分が心から満足できる生き方をしようと。
そしてそれから。
人生は不思議なほど好転した。だからこのブログでは強く伝えたい。夜明け前が一番暗い、ということを。
関連記事:「夜明け前が一番暗い」真実
まだ我慢できるなら、その仕事をかんたんにやめてはいけない
もしあなたが、
「今の仕事に満足できない。このまま今の職場で働き続けてもいいのか。したいことはあるけれど、それで食べていけるか分からない・・・」
そんな悩みをお持ちなら、まず今の仕事に我慢できるか。不満はあるけれど仕事を続けられているか。
そこが第一のポイントである。
もうどうしようもなく、本当にその仕事を続けることができない状態であるなら、そのサインがあらゆる面で表出しているはずである。
例えば私の場合、ストレスで胃に穴が空いた。医者から「さっさと仕事をやめて休みなさい」と言われた。
このような状態になっておらず、「なんとなく不満」な状態であるなら、もしかしたらその仕事をやめる必要はないかもしれない。
今の仕事を続けつつ、例えば土曜や日曜日。休日に自分の好きなこと。やりたいことを仕事に変えていくための試みを続けることもできる。
別に今すぐ仕事をやめて、人生にリスクを背負う必要はない。そのかわり、自分の不満に直視して、それと全力で戦うのである。
関連記事:仕事は選んでいい。よりよい仕事を選ぶ権利は誰にでもある
現実的に好きなことをして生きていくことはできる
好きなことをしてお金を稼いで、自由に生きていく。
それは確かに最高だ。しかし、それは完全に自己責任。収入が下がろうと、なんだろうと、すべて自分でその責任を負う必要がある。
独立すれば完全に収入には波が発生する。
サラリーマンのように、毎月同じ金額のお金が口座に振り込まれてくることはなくなる。それでもなお、自分のしたいことをしたい。
今の仕事を続けることは魂が全力で拒んでいる。それで体に症状が発生している。だからこれから収入が不安定だろうがなんだろうが、もう自分はこれ以上我慢したくない。
そういう段階になって始めて、思い切って決断するタイミングがやって来る。
中途半端な覚悟のまま、独立しても、収入という現実的な問題の不安に苛まれる日々に追われ、自分のしたいこと。好きなことをして生きていく初志そのものを忘れてしまう。
だからこそ繰り返し、こう言いたい。「安易な退職はやめておけ」と。
最後に
あなたが本当に、今の仕事に我慢ならないなら。あなたは既にその仕事をやめている。しかし、まだそれを続けられる体力と健康があるならば。
それはきっと、「まだその仕事をやめてはいけない」というサインである。
「自分の好きなことは他にもある。独立して自分のしたい仕事をしたい」
そんな場合でも、本当にそれをする覚悟が持てない。今の安定収入を失うのが怖い。それなら、今はまだ、そのタイミングではないのだろう。
それなら仕事をやめてリスクを背負う必要はないのかもしれない。今の仕事を続けつつ、自分の好きを現実的な仕事にする方法を、模索するのが安全である。
将来に対して完全に見通しが立った段階で、仕事をやめることだってできる。ただしそこには絶対に覚悟が必要だ。
もう後には引かない。何があっても自分で自分の人生をなんとかする。そんな不退転の覚悟が必要なのは間違いない。
安定を失うことは確かに怖い。毎日のストレスになることは確かだ。しかし、安定を失うからこそ得られる、本当の安定があることもまた事実だ。
自分の道。それは政府でも親でも会社でもない。他の誰でもない、自分自身で決めるものなのだから。