世の中が「渡る世間は鬼ばかり」の理由

世界にはいろんな人がいます

人は、心中に巣食う嫉妬心によって、ほめるよりもかなすほうを好むものである。

マキャヴェッリ

わたしたちは、常日頃から、誰かにけなされるよりも、ほめられることを好む。

人からほめられれば、自分は受け入れられている、認められていると、感じることができるからである。

しかしあいにく、世の中の多くの人は、人をほめるよりも、けなして、貶めることを好む。

なぜなら世の中とは一言で言うと生存競争。どんな綺麗事を語ろうとも、我々は常に己の生存をかけ、他者とともに競争を続けている存在である。

学校では成績やスポーツ。会社に入れば業績と出世。生きている限り、他者との競争を避けることは不可能である。

もちろん、協力することはできる。しかし、そこに両者にとっての共通益があることが前提である。

この意味で現実的に考えれば誰もがみな、自分1stで生きている。それが世の中であるし、そういうものである。

だから私たちは、自分の周りに「脅威」となる存在がいれば、安全を確保するために自分より「下」に置こうとする。

これは、ディスりやマウンティングなどの行為を見れば分かりやすい。

つまり、人をけなすことの本質とは、人をけなしている人自身の心の安全性を確保するための行為だと言える。

相手が自分より下の存在であれば、脅威に感じることはない。自分の世界の安全性を脅かされることはない。

そうこれはいわば、一種の防衛本能である。

これは多かれ少なかれ、全ての人に備わっているものである。だから世の中では、誰かをほめて認めるよりも、けなして貶める。それを好む人が多い。

だから生きている限り、常に誰から批判され、ディスられる。人の世とは、元来そういうものである。

くれぐれも、「自分はすべての人から認められ、受け入れてもらえるんだ!」などとは、考えないことである。

出典

『政略論』