許せない人を本当に許す必要はない。なぜなら

苦しみ横たわる女性

あなたには「絶対に許せない!」という人がいるだろうか?

一般的に、人を許せないことは「悪い」ことであって、「人は間違いを起こすのだから、許してあげましょう」という態度をとることを求められる。それが人として「正しい」姿勢のように思える。

しかし本当にそれでいいのか?あなたがこの記事を読んでいるということは、心のどこかでひっかかる何かがあるからかもしれない。

ということで、ここではあなたの疑問をスッキリさせるだけだなく、何より本当の意味であなたがあなたの問題を解決するための考え方を提示したい。

誰でも閲覧できる特質上、具体的な例については差し控えるが、あなたが人を許せないことに悩んでいるなら、こんな考え方をするのもあなたのためになるかもしれない。

はじめに

まず結論から。

あなたがどうしても許せない人がいるならば、それを無理に許せる必要はない。許し=人の度量や愛、癒しといった、きれいごとを真に受ける必要はない。

生きていくことは大変なことである。人から致命的な大損害を与えられ人生がめちゃくちゃになってしまったとき。

「罪を憎んで人を憎まず。許してあげましょう」とかんたんに許せるのがそもそも不自然である。

例えばあなたが家族と普通の暮らしをしていたのに、突如暴走した車によって、大切な家族を奪われてしまった。

家族を殺した運転手はその事実を認めることなく、罪の意識を持っていない。そんな人に対して、普通の感覚を持っているなら「許しなさい」などと言えるはずがない。

「絶対許せない!」と思い続けても、誰もそれをとがめることはできないだろう。

特にそれが人生を激変させてしまうほどの大きな出来事であるならば、なおさら「許す」などと軽々しく口にするのはおこがましい。

無理に許さなくていい

許せない人を無理に許そうとしてもそれは無理である。

ずっと親から虐待を受けてきた子どもがかんたんに親を許せるか?大切な土壇場で裏切り自分を後ろから撃ってきた友人を許せるか?愛するふりをして自分を金づるにした恋人を許せるか?

状況は人それぞれだが、「許すことが愛なのです」など、そんなきれいごとは1ミリの役にも立たない。

むしろ、絶対に許せない人を許さず、あなたの怒りや苦しみを、認めることが大切である。なぜならあなたは「許せない」という経験によって、大切なことを学んでいるからである。

あなたには許せない人がいる。その損害や怒り、憎しみを感じることによって確かにあなたの人生の空には厚い雲がかかる。

だからこそあなたは学ぶことができる。人間とは何なのか?生きることは何なのか?偽善を排した、より深いレベルで。何より、許せないことの苦しさ。そして辛さを。

あなたは許さない権利がある

世の中には驚くほど偽善が満ちている。もちろん、人の本性が善であって出会う人すべてが自分の良き師であるならば、それにこしたことはないだろう。

しかし現実問題として、世の中には想像を絶する最低な人がいて、普通では考えられないような被害を受けることがある。

ネチネチと人を追いやる人。平気で嘘を撒き散らす人。自分の利益のために人を道具のように扱う人。暴力で人を脅す人。

理不尽な被害を受けたなら、許せないのは当然の話である。だからあなたは怒っていい。それは人としての尊厳の問題である。

許せない人がいるならば、あなた自身が「もういい」と納得できるまで、許せない自分を認めてもいい。そして安易に許そうとせず、こう問うのだ。

「この経験は自分に、何を教えようとしているのか?」

最後に

いつから、「怒り」という感情が排除される世の中になった。

感情的な人=未熟な人というように、怒る人はみっともない。大人として失格。そんな風潮があるが、怒るときには怒ることを忘れてはいけない。

嫌なことをされたら怒り、許せないことは許せないのは当然である。

あなたが許せないという感情を持つに至った経緯からすれば、彼らを許せないというあなたの思いは至極当然である。

そして、「許さなければいけないのですか?」という疑問を抱くのもそのとおりである。だからあなたは無理に自分にウソをつき、許す必要はない。あなたが今も感じているその感情を認めてもいい。

納得がいくまで、あなたには許さない権利がある。それによってあなたは本当の意味で学ぶことができる。人を許さないことの辛さ。そして苦しさを。

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