何があっても絶対あやまらない。そんな人と距離を置いた方がいい理由

けんかする女性

悪いことをしたとき。人様に迷惑をかけたとき。仕事で失敗したとき

「ごめんなさい」「すいませんでした」「申し訳ございませんでした」と、自分のミスや失敗を素直に認めあやまることは、人として当然のことである。

そして、素直にあやまることができるかどうかは人としてどれくらい成熟しているかを示す目安になる。

この点、素直に「ごめんなさい」「すいませんでした」「申し訳ございませんでした」の言葉とともに謝罪できる人は、信頼のおけるまともな人と考えていい。

一方で世の中には、どんなに自分が悪くても、人に迷惑をかけても、損害を与えても、「あやまったら負け」とばかりに絶対にあやまらない人がいる。

結論から言って「何があってもあやまらない人とは距離を置いたほうがいい」という話なのだが、この記事ではその具体的な理由についてお伝えする。

はじめに

ここでは、何があってもあやまらない人の心理がどうだとか、そういう分析はしない。

そのかわり、何があってもあやまらない人と関わるとどんな問題が生じるか?その部分の焦点を当てて話を進めていく。

単純に言えば「実害があります」という結論に尽きるのだが、こういう話は知っておいて損はない。

世の中にはいろんな価値観を持った人がいる。物事の善悪を判断する倫理観を持っている人もいれば、そもそも善悪の概念を持ち合わせていない人もいる。

だからこそ、私は選ぶ必要がある。誰と関わり誰と距離を置くのかを。

なぜあの人は絶対にあやまらないのか?

ごく普通の人間関係を築いている人であるなら、自分の我を通すより、素直に「すいませんでした」を口にするほうが、あらゆる物事がうまくいくことを実感しているはずである。

そして、何か間違いを犯してそのあやまりを素直に認めることは、人として何ら恥ずかしいことでもないし、それが自己評価につながることはない。

にも関わらず、なぜ世の中には間違いを犯そうが、人に迷惑をかけようが、かたくなにその誤りを認めない人がいるのか?その理由はズバリ、その人の「思考法」にある。

端的かつ専門的な言葉を使うなら、それは「他罰思考」という言葉が適切である。

何でもかんでも「自分以外の誰かのせい」にする考え方

「他罰思考」とは、物事の捉え方であり、原因を自分ではない他の何かのせいにする思考法である。

例えば、自分が仕事ミスったとき、普通なら「自分が失敗したせいだ。自分が悪い」と考えるのだが、他罰思考の人は「自分が悪い」という発想をしない。

そのかわり、「自分がこんなことをしてしまったのはあいつが悪いからだ」と、失敗の原因を自分ではなく他のものに押し付ける。どんなも「自分が悪い」と考えないので、「あやまる」という選択が生じない。

対策は「君子危うきに近寄らず」

あなたはこれを知って憤慨してしまうかもしれないが、現実的にはこの手の人は環境問わずそこかしこに生息している。

あなたが相手の間違いを優しく指摘したにも関わらず逆ギレされた経験があるなら、それは決して珍しい経験ではない。世の中には一定の割合で「絶対自分が正しいマン」が存在しているのである。

彼らにとって起こる問題はすべて、自分ではなく誰かのせい。となれば、彼らとまともな共存は難しいことは想像に難くない。

問題が起こったときにあなたが「絶対にあやまらない人」と行動をともにしていれば、その責任はあなたになすりつけられる。

相手に非があっても、彼らは絶対にそれを認めず「あなたのせいだ」と逆ギレしてくる。彼らに「反省」や「気づき」といった概念は存在しない。となれば、その手の人物への対策は一つである。

最後に

「まずは謝意を示す」

これはとても日本的なマナーである。「ご迷惑」という言葉が示すとおり、問題が起こり相手に何らかの形で「迷惑」をかけたことを謝罪することによって、人間関係を円滑にしていく。

アメリカのように「I’m sorry.」を乱発してはいけない国はたしかにあるが、日本社会では自分のミスや失敗を素直に認めあやまることは当然のことである。

それができない人との関係は余計なトラブルを増やすだけである。私たちは他人を変えることはできない。できるのは、自分の行動を変えることだけである。

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