「人生に正解はない」と気づくだけで、もっと自由に生きることができる

広い目で世界を見る

毎日が息苦しい。将来のことを考えると、なぜか、得体の知れない不安におそわれて気持ちが暗くなる。

その原因は、「人生の正しい答えは1つしかない」という正解主義である。

例えば学校へ行く。そして良い学歴を手に入れる。

学歴を入手したら上場企業に入るか公務員になって、安定した仕事を手に入れる。そして、29歳までに結婚。子どもを作り家を買い、これでようやく一人前。

このように、頭のなかで「こう生きなければいけない」という、正解を作っている。

そして、それ以外の生き方は間違いで、だから、自分のなかで正しい道をなんとしても進む無くてはならない。

そんな無意識の脅迫観念が、息苦しさや不安といった「症状」となって顕在している。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

人生が思いどおりにならない意味

ところが。人生は自分の考えた正解をまっすぐに進めるほど、簡単なものではない。

世の中で、自分が正しいと考えた道をそのとおりに進んでいける人はほとんどいない。たいていは、途中で思うように進むことができずに挫折して、「進路変更」を余儀なくされる。

そしてそこで初めて気がつく。「人生に唯一の正解などない」ということを。

そう、人生は常に、いろんな可能性を秘めている。唯一の正解など決してなく、どんな生き方をしたとしても、自分の人生を最後の最後まで全うできたなら、それがすべて正解である。

普通の会社に入って結婚して子どもを作って老後を迎えるのも正解だし、結婚相手が見つからず、独りで生きていくことになったとしてもそれまた正解。

どの道が良いとか悪いとか、そういう尺度で物事を決めつけなければ、どんな人生もそれ相応、素晴らしい経験ができる。

その人生でしか経験できないことを経験できる。だから、どの道を進んだとしても、それはすべて、正解である。

「正解」よりもっと大切なこと

大切なのは、正しいと信じる道を進むことではない。むしろ、自分が歩むことになった道こそを、大切に歩みたい。

たとえば夢があった。しかし夢に挫折してまった。失敗し、どん底まで落ちた。しかし底の底で道があることに気づき、その道を進んだ。

その結果、実は、どん底に落ちたことが不幸ではなく、実は限りない僥倖であった。

どん底に遠方からこそ、本当に自分らしい人生を見つけることができた。人生の可能性に気づくことができた。

人生は、こんな不思議なことがたくさん起こる。

だから、「人生はこの道しかない。この道こそが正解で、それ以外はすべて間違いである」と考えるのは、非常にもったいない話である。

かりに、今の現実が、自分が考える「正解」とは程遠いものであったとしても、今その道を進んでいる。そのことに、必然性を実感したい。

そうすれば、そこでしか気づけないこと。経験できないことがあることに気づくことができる。

最後に

大切なのは自分の人生に正解を求めるのではなく、いかに納得できるか。つまりは、「これで良かったんだ」と心から納得できることである。

人生は自分の思いどおりにはならない。自分の考えたとおり、道は進んでいかないし、途中、予想外の問題が突如起こって、すべてが崩れてしまうことだってありえる。

しかし、道が一つではないことに気づき、いろんな道の進み方があることにさえ気づくことができれば、人生で起こることを1つ1つ楽しんで、前に進んでいくことができる。

いろんなことを経験し、そこから気づき、成長していくことで、「自分の人生はこういうものだ。これでいいんだ」と納得することができる。

だから、結果どうであれ、自分の人生に満足することができる。幸せを感じることができる。真に大切なのは、まさに底である。

人生で理想の道など進む必要はない。「正しい」道を進む必要もない。なぜなら人生に正解はない。あるとすれば、今自分が歩むことになった道こそがまさに、正解。

ただ今は、その道を進んでいけばいいのだ。