行動は修正できる。この意味で正直さこそが自分の未来を

不幸が待つ先

あくまで仮説だが、人生には自分がやるべきこととやるべきでないことが決められていると考えざるをえない。

その証拠に、自分が正しい道。すなわち進むべき道へ進もうとするときは必ず、その道をスムーズに進んでいくための環境が整う。障害が起こったように見えても、それを解決する手助けが与えられる。

ところが、自分が間違った道へ進もうとしているとき。不可解な事件や問題が連続して発生し、そちらへ進めば進むほどに、状況は驚くほど悪化していく。

すなわち、自分がやるべくことはそれを継続できる状況が整うし、自分がやるべきでないことをやろうとするならば「それはやめなさい」と何かから止められているかのような出来事が頻発するのだ。

この「結果」を感情を抜きに見た上で、自分にとって何が本当の正解なのか?冷静に見極める必要があるだろう。

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はじめに

前置きが長くなってしまったが、「起こった出来事」というのは、全て、私たちがどのように生きるべきなのか?何をすべきなのか?どちらへ向かうべきなのか?それらを教えてくれるヒントである。

それはある意味、とても露骨な形で提示される。そこへ向かおうとすればなぜか問題が頻発する。障害が起こり逆風にさらされる。「うまくいかないこと」ばかり続く。そんな状況に陥ってしまったことそれ自体が既に、大いなるヒントである。

問題はここで素直にそのヒントを受け取るか。それとも自分の「我」を押し通すか否かのチョイスである。それが自分の人生はもちろんのこと、周囲の人々への人生にも、影響を与える。

自分の選択ミスは修正すればいい。問題は

人生が自分一人だけの問題であるならば、与えられたヒントの受け取りを意図して拒否した結果不幸のどん底に陥ったとしても、それは完全に自己責任である。

周囲の助言を無視し「そいつと一緒になるのはやめておけ」という相手と一緒になった結果不幸な結婚生活を送るのはその人の自己責任だし、欲に目が眩み怪しげな投資にお金を注ぎ込んだ結果一文無しになるのも自己責任である。

問題は、その失敗が「自分一人だけ」にとどまらない影響を与える場合である。

例えば私は仕事柄、「私もあなたと同じように独立して食べていきたいんです」という相談を受けることがある。「それはいいですね」と穏やかな気持ちで話を聞けるケースもあるが、なかにはじっと話を聞いてはいられないケースもある。

「どうみてもその行動はやめたほうがいいですね」と判断せざるを得ない場合なのだが、率直にそれを伝えたところで、「私は絶対にやってみせます!」と頑なに現実と向かい合うことを拒否する人もいる。

例えば既に家庭を持ち子育てという「最優先事項」(責任)があるにもかかわらず、会社をやめて博打のような行動を起こしたり、第三者から見て信頼性を持つことが難しいビジネスに参加しようとするケースがそれである。

その行動によって本人だけが不幸になるのはその人のチョイスである。しかし現実問題、本人の失敗によって、妻や子どもの人生も明らかに変わってしまうのである。

だからこそ「行動は慎重になるべきです」と私なら考えるが、実際の現実として自分の気持ちが強すぎるあまり周囲の気持ちが見えなくなる人も少なくない。

自分の行動が自分の未来だけでなく、他の人々の人生にも影響を及ぼすことに想像力が働かない人が会社の社長など組織の権力者となった場合。関わる人はもれなく、その影響を受けることになる。

素直な人は「結果的」に救われる

人生において間違った行動をしようとするとき、ありがたいことに私たちには「それはやめておきなさい」というヒントが度々提示される。

それをしようとすればするほど、なぜか問題が頻発する。不可解なことが起こり出す。そして、状況がどんどん悪くなっていく。ここで素直に「そうか、これは間違いなんだ」と認めることができれば、再び「やり直す」ことはできる。

問題はそれを認めることができない場合である。それは悪い意味で頑固であり、その行動の結果、自分のみならず、周囲にまで不幸を撒き散らすのはどうしようもない話である。

この意味で、「人の話を聞く」といった一般論だけではなく、実際に起こり出した結果から、やめておくべきことを素直にやめることは、本当に大切である。

ヒント(警告と言ってもいい)を無視し続け間違った方向へ進み続ければ、ある時点において、もう2度と、引き返せなくなってしまう。そして自分のみならず、他の人の人生でさえ、狂わしていくのである。

最後

つくづく、世の中の出来事を眺めていると、間違った行動は必ず、本人だけでなく周囲にとっても不幸な結果を招くことを思い知らされる。それが多くの人の人生に影響を及ぼす立場にある人なら、なおさらその影響は大きい。大きすぎる。

警告サインは、はじめとても小さなものである。しかし、進むべきでない方向へ進み続けていると、それはだんだん大きくなる。そしてある時点を超えた瞬間、もう2度と、もとには戻らない。そしてそれが、「終わりの始まり」となる。

だからこそ大切である。引き返せるうちに、引き返すことが。自分の間違いを間違いと認める、素直さを持つことが。