流れに流されることは必ずしも間違いじゃない。それが正解の場合もあるから

人生をさまよう旅人

人生には、目標を決めてそれに向かってまっすぐ向かっていく目標型と、悪く言えば流れに流され、その展開を楽しみながら生きていく展開型がある。

それぞれどちらも良い面と悪い面があるので、どちらの人生が良くて間違っているのか、それを云々するのはナンセンスである。

大切なのは自分が一体どちらのタイプなのか。それを知り、受け入れることが、不幸な人生を送らないために大切なことである。

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あえて人生の目標を持たない意味

目標を決めても長続きしない。今の人生、どうにも流れに流されて生きてきた気がする。こんな人はまさに「展開型」の典型である。

何か目標を作り、それを達成するためにガッチリ自分を律して生きるより、ただ日々を何気なく生きる。そして、流れに逆らわず、それに流されていきていく。そうしてたどりついた道を、深く考えることなく進んでいく。

こういう生き方を、世間では主体性がないとか、あまりポジティブに捉えられることはない。

しかし、実際のところ、流れに流されて生きてきたとしても、そうなった人生は絶対にムダではない。むしろ、そういう生きることが正しかったからこそ、そうなった。こう考えるのが自然である。

なぜ運命は運命なのか

この意味で、流れに流され生きてきて手に入れたもの。今立っている場所。ご縁がある人。

それらはすべて、「運命」という言葉でその意味を理解することができる。つまり、何らかの必然性があったからこそ人生はそうなった。

こう考えると、流れに流され生きていくことは決して悪いことはでないし、場合によっては刺激的で、決して生きることに飽きることがない。

自分で目標を決め、人生に道を敷く。そういう生き方が向いている人はそうすればいい。先が見えるという意味ではある意味、安心できるし、安心を人生の拠り所にしたい人もいる。

しかし、なぜ自分はここにいるのか。これからどう生きていくのか。かっこたる人生が見えないときは、別にその理由が分からなくてもいい。

そんなときはただ、流れに流されてみるのも悪くない。なぜなら流されるからこそ辿り着く場所や、見えてくるものがあるのだから。

最後に

人生、最初から最後まで、何もかも見通せるのはつまらないし、退屈だ。ときに迷い、道を踏み外すからこそ、そこに人生の気づきがある。

何もかも計画どおり。思い通り。そんな人生に学びはない。この意味で、ときに人生、思い切って自分の人生を自分の手から離すことも必要なのだ。

日々の偶然を追いかけて、気が向くまま生きていく。そして、直感に従い、進む道を進んでいく。そうすればやがて、「この場所こそが、自分が生きていく場所なのだ」という場所を見つけることができる。

なるべくしてなった自分の運命と出会うことができる。心から本当に自分の人生を信頼し、流れに流される覚悟があるならば。