頭ではなく心がYESと言う人生。そこにあなたの居場所がある

海を見つめる男

「人生の道」は頭の中には見つからないような気がする。それは心の中にある。

ロバート・キヨサキ、『キャッシュフロー・クワドラント』より

あなたは今、自分の人生に満足しているだろうか。

もしその答えが「ノー」なら、きっと次のような感覚を、日々心のどこかで感じているかもしれない。

「人生で良いと思った選択を選び続けてきたはずだ。だけど、今自分がいる場所は、本当に自分の居場所とは思えない」

「周囲から求められることをやってきた。今は、やりたいことがわからないと感じるときがある」

この記事は、そんなあなたが、自分の人生という居場所に気づくための記事である。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

はじめに

私たちは、いとも簡単に「自分」を見失ってしまう。それは、自分の心よりも周りの声を優先してしまうからである。

「〜しなさい、そのほうが安全だから」と言われたこと、周囲から求められている役割や、すべきことをこなす。もちろん、それは一定の場面で大切であり、何でもかんでも自分ファーストの人生、すなわち「自分さえ良ければ」という人生もまた、それはそれで違う。

だが、自分を軽んじ、後回しにしてしまうこと。自分の考えよりも、社会や誰かが言っていること、「こう感じるべき」「そう考えるべき」といった無言の何かによって、私たちは自分の思いや考えから遠ざかっていく。

だからこそ、自分の人生に気づき、自分がいるべき場所に気づくための第一歩は、自分の心がわからなくなってしまう理由を「見える化」することである。

現実に適応することで見失うもの

私たちは、感じるよりも考える。学校、職場で、自分が感じたことよりも、まず先に考えたことを優先させ、周囲の「常識」や「現実」に自分を適応させる。

その結果、私たちは親の価値観、他人の期待、世間体、「こうしなさい」「こうすべきである」といった周囲から発せられるものによって、物事を「頭」で判断するようになる。そして、「心」は軽視され、「心と切り離された人生」を送るようになる。

それが今までの人生であるならば、まず私たちは、自分の頭の中でどのようなことを教えられてきたのか、「〜すべき」となぜ考えてしまうのか、それらを一度自己点検し、自分に影響を及ぼしているものの正体と向き合う必要がある。

心の声に気づいたとき、「道」は見えてくる

気づくことは、変えるためのプロセスである。それは、誰かから押し付けられるものではない。他の誰でもない、私たち自身が、感じることによって気づくことである。

思い込みは、それが思い込みであることに気づかない限り、「当然」の何かとして、私たちの人生を規定する。だが、それでもなお、私たちの心は、何かを発しようとする。それを感じ取ることで、私たちは本来進むべき、「元の道」に戻ることができる。

例えば、私の経験である。ある会社から仕事の話があった。会社に出向き、仕事の詳細を先方の担当者から90分にわたって説明を受けた。

頭で考えた結論としては「やってみよう」だったが、自宅に戻った翌日、突然腰痛に襲われ、歩くことが困難になった。

なぜ、このタイミングで体が悲鳴を上げたのか。そのとき私は気づいた。本当は、その会社と仕事は、やめておいたほうがよいと感じていたことを。

人生は、心が納得したときに形になる

私たちの人生は、頭でロジカルに組み立てるものではなく、心が納得して動き出したときに、自然と形になっていくものである。そのために大切なのは、「考える」「見つけようとする」以上に、「気づこうとする」ことである。

「私にとってこの選択が得になります」と頭が考えたことではなく、「なぜか、理由はわからないけれど、こちらの方向はとてもワクワクする」と心が震えた方向へ進んでみる。

その結果、思っていたのとは違う道につくかもしれない。その先が見えないかもしれない。だが、それでもいい。心が「こちらがいい」と感じているなら、その気持ちに気づき、それを尊重することである。

心に素直に向き合うことで、私たちはいつかつながる。自分がいるべき場所、そして送るべき人生に。

最後に

頭で考える人生から、心で感じる人生へと転換する。これこそが、自分の人生の居場所に気づき、そしてそこへ歩み始める第一歩である。

自分が感じたことに、客観的な根拠や証明を求める必要はない。本来、私たちは自分自身の生存において、最も適切な方法を感じ取る力が備わっている。

確かに、心は見えないかもしれない。だが、それは「感じる」ことを通じて、存在していることに気づく。そして、感じることこそがまさに、私たちが自分自身の在り方に気づくヒントなのである。

心で感じることは数値化できない。客観的に証明できる基準でもない。だが、それは確かに「私は、こう感じた」という事実を通じて示している。私たちにとって自然な在り方、そして生き方を。

この記事を読んだあなたへのおすすめ
人生には『呼ばれる場所』がある。|人生の気づき.com【note版】
人生には、『呼ばれる場所』があるという。    私たちはこの世界で生を受ける。  そして望む望まないに限らず、幼少期を特定の場所で過ごす。  その後大人になった私たちは自分たち自身で自分が生きていく場所を選択する自由が与えられる。  ところ...