
自分自身がマイナスのスタートになってしまう場所では、プラスを生み出せないのは当然です。かといってもう30代。
ここから新たなスキルを身につけて一人前になるのには時間がかかりすぎるし、資金もない。では、自分が最初から持っているもので勝負できる場所に、身を移せばいいのではないか。
リト(『非効率思考』より)
「◯◯さえあれば」
この思考こそ、私たちがとかく陥りがちな罠である。
それはいわば、
「新しいスキルを身につけなければいけない」
「〇〇さんのようにならなければいけない」
といった、「今の自分はだめだから変わらなくてはいけない」という前提に基づいた発想である。つまり、「今の自分ではなく」「なれない自分」を追いかけることなのだ。
この発想こそがまさに、「自分自身がマイナスのスタートになってしまう場所」へと引きずり込む原因になっているのではないだろうか。
「自分は自分」とあきらめる。それでこそ見つかる道がある
「人生には、無限の可能性がある」
この考え方は、ある意味で正しい。それは、「私たちは何者にでもなれる」という意味ではない。
「自分という存在を認め、掘り下げる」ことによって、「それまで気づかなかった道が見えてくる」という意味で正しいのである。
逆に言えば、自分ではないものを見つけることはできないし、自分ではない何かになることもできない。そうあきらめることによって、私たちは逆説的だが、新しい道を見出すことができる。
「マイナスのスタート」になってしまう場所ではなく、「プラスのスタート」になりうる場所で。
外を探す前に、内を見る
では、どうすれば私たちはそれを可能にできるのだろうか。それは、「私たちが最初から持っているもの」のなかに往々にして隠されている。
つまり、外側に探しに行くのではなく、新しく手に入れたり身につけようとするのでもなく、まず自分自身に意識という光を当てることによって見出されるものなのである。
たとえば、人にはそれぞれ変えようのない、生まれつきの性格がある。そして、譲れない何かがある。
自分が当たり前のようにできること、感じること、考えること。そうした事柄こそが実は、自分自身を活かすヒントになりうるのである。
そしてそれらは、多くの場合、本人が気づいていない隠れた強みであり、運命に気づくために用意された鍵であることが少なくない。
「向いている場所」では、自然にうまくいく
「人と話す」こと一つをとっても、雑談が苦手な人がいれば、一対一なら誰とでも自然に話せる人もいる。一方で、深い話になるとその場から立ち去りたくなる人もいる。
また、人前に出ると面白い話が自然とできる人もいれば、大勢の前に立った瞬間、過度に緊張してしまう人もいる。こうした「向き」「不向き」は、もともと持っているものであり、決して優劣ではない。
問題は、それを「どこで、どのように用いるか」によって、その良し悪しが変わってくる点である。
だからこそ、「自分の持っているもの」に気づき、それで「勝負できる場所」を探すという発想が、結果として自分を活かす道へと進ませるのである。
「持っているもの」を武器にする生き方
人付き合いが苦手で、家で本を読んでいるほうが気楽な人が、「それでは私はだめだ。もっと社交的になろう」と変わろうと努力することはできる。
しかし、元来、人と関わるのが好きな人が、周囲から隔絶された環境で生きようとすれば、そこには相当のストレスが伴う。
だからこそ、「変えられないものは変えられない。持っているものは持っている。なら、それを活かしてみよう」と考える。この発想の転換こそが、自分自身に意識という光を当てるということである。
つまり、自分自身が最初から持っているものを活かすための生き方を見出す方法なのである。
もちろん、自分にできないことをできるようにする努力の価値を否定するわけではない。問題は、努力の方向性を「選ぶこと」なのだ。
最後に
同じものでも、人や場所、環境によって、それはマイナスにもなればプラスにもなる。
自分という存在は変えることができるかもしれないが、その根本は変わらない。であるならば、それがプラスになる場所を見つけようとするほうが、むしろ現実的ではないだろうか。
私たちは誰かになろうと演じる努力をすることができる。だが、演技は演技であり、自然体の自分でいるよりも、ストレスと息苦しさに満ちた人生が約束される。
そうではなく、無理をせず、良いも悪いも含めて「自分は自分」であることで、それがプラスに働く場所を見つける。「自分が最初から持っているもので勝負できる場所」を探すのである。
そして人生は一度きり。そもそも私たちは、別の誰かに、なる必要などないのだから。
あなたにはあなたの強みがあります。それに気づくヒントをお届けします


