
人の精神とは、絶え間なく変化する無数の思考、イメージ、感情、感覚および衝動によって織りなされる産物である。
デイビット・A・クラーク(『侵入思考』より)
私たちは時に、思いもよらない考えや突然湧き上がる感情に振り回され、「こんなはずではなかった・・・」という行動を取ってしまうことがある。
もちろん、それが致命的な失敗でない限り、人生はいくらでも挽回できるし、どん底から再起することだって可能だ。
だが、後悔は少ない方がいい。そのために大切なのは、思考や感情に突き動かされないための「心の整理術」を持つことだ。この記事では、そのための視点について書いていく。
はじめに
心理学には「侵入思考」という用語がある。これは、突如頭に浮かんでくる望まない考えや、不快なイメージを指す。
例えば、あなたが車を運転しているとき、突然「人をひいてしまうのではないか」といったネガティブな思考がよぎることがあるかもしれない。
このように、私たちは思いがけず湧き上がる思考や、それに伴う感情によって衝動が生じ、行動へと突き動かされてしまう。つまり、私たちを動かすのは、まず頭に浮かぶ「思考」であり、思考が行動となり、それが現実の世界へ影響を及ぼす。
それらは一見、自分自身の固い意志であるように思えたり、何か重要なメッセージだと誤解してしまいがちだ。だが、デイビット・A・クラークが示すように、それらはあくまで「絶え間なく変化しながら織りなされる産物」にすぎない。
思考・感情・衝動という心の産物と、自分自身の意識を明確に切り離すことは可能である。
思考を「自分」と同一視する誤解から離れ、心の流れを冷静に観察する「客観的な視点」を持つことで、衝動的な行動に振り回されず、後悔の少ない選択ができるようになる。
思考と感情に距離を置く
私たちは、頭に浮かんだ思考や、それに伴って生じた感情を「自分自身」や「絶対的な事実」であるかのように捉えがちだ。
たとえば、「私はダメだ」という思考が浮かんだとき、その思考をまるで事実のように扱ってしまう。この同一視こそが、自己否定や衝動的な行動の原因となる。
しかし、実際にはそれは「事実」ではない。それは「絶え間なく変化し続ける思考の一つ」にすぎない。
「私はこう考えた、感じた」ということは事実だ。だが、「だからそれが真実である」という結論にはならない。
これを理解し、衝動に動かされないための方法を紹介する。まず、あなたが駅のホームに立っていて、次々と通過する列車を眺めている場面を想像してほしい。
このとき、「駅のホーム=あなたの意識」、「列車=頭に浮かぶ思考や感情」と考える。次に、通過列車を実際の思考や感情に置き換えてみる。
・『今日は天気がいい』という列車
・『会社に行きたくない』という列車
・『株価が上がりそうだ』という列車
ホームには次々と列車が通過する。しかし、あなたは慌ててその列車に乗り込む必要はない。重要なのは、頭に浮かぶ思考を、通過列車を見るように距離を置いて観察することだ。
衝動列車に乗り込まないための「距離の取り方」
思考に振り回されて衝動的に動いてしまうとき、それは行き先のわからない列車に慌てて飛び乗るようなものだ。だからこそ、まずは「駅のホーム」に留まることが大切だ。
浮かび上がる思考や感情を自分自身と同一視せず、ただ“目の前を通る列車”として扱う。そして、次のように言語化してみる。
「『悪いことが起きそうだ』という考えが浮かんだ。不安列車だ」
「『あの人の機嫌が良さそうだ』という考えが浮かんだ。感想列車だ」
「『いいことが起こりそうだ』という考えが浮かんだ。期待列車だ」
このように、思考や感情を客観的に捉え距離を置くことで、意識と思考の間の境界線が明確になり、事実との混同を防ぐことができる。それにより、衝動に突き動かされない心の土台を作ることができる。
ポイントは、頭に浮かぶ思考や感情を意識しつつ、それを言語化して客観視することだ。思考の「正体」がわかれば、対処しやすくなる。
例えば、あなたが会社で働いているとき、突然落ち着かない気持ちになったとする。
そのとき「今、『これから上司と打ち合わせだ』という考えが浮かんだ」と自覚できれば、なぜ落ち着かないのか納得できるはずだ。
客観視とは「原因を知るための技術」であり、思考と自分の同一化を防ぐ心の整理術である。
最後に
人の脳には、1日6万回以上の思考が浮かんでは消えていくと言われている。それらは意識的に浮かび上がるものもあれば、全く理由がないように思えるものもある。
だからこそ、私たちの心は「絶え間なく変化する無数の思考や感情によって織りなされる産物」なのだろう。
そして、それらは絶対的な事実ではなく、ただ頭に浮かんだアイデアの一つにすぎない。慌てて追い立てられる必要はない。
まずは、意識と思考のあいだに境界線を引くこと。その技術こそが、思考や感情に振り回される日々を卒業するための、確かな第一歩となるだろう。
追記
この記事で紹介した「列車の比喩」は、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の創始者の一人、スティーブン・C・ヘイズの「思考を、駅のプラットフォームで電車を見送るように眺める」という比喩を参考にしている。
浮かんできた思考を駅のホームで通過列車を見るように観察する方法は、意識と思考を切り離す手法として、ACTや認知行動療法で心の観察技法の一例として紹介されることがある。
より専門的に学びたい方は、ACTや認知行動療法に関する書籍を参照してみてほしい。

