
自分のこんあところが嫌だ、と思っていることが、そんがい他人の目からは苦にならず、むしろ長所だと自信をもっていることが、他人には嫌味におもわれるときが多い。コンプレックスについても、おなじことがいえる。
まわりの人をみて、自分はここがずいぶん劣っているとおもうと、精神的に落ち込んでしまう。とくに身体的な欠陥がある場合はそうだ。人知れず苦しむことに、なにか意味があるのか、と思うのかもしれない。
しかし、あえていわせてもらえば、苦しむことは、人を大きくする。それはたしかだ。大きいコンプレックスのある人は、じつは大きく伸びる人だ。
宮城谷昌光(『歴史の活力』より)
私たちは誰でも、「自分のここが嫌だ」「ここが、ダメなところだ」と感じる何かを持っている。そして、それらを人生における「不要」なものや、「ないほうがいいもの」として認識する。
だが、欠点やコンプレックスにも、役割がある。大切なのは、それらをうまく、自分のために使うことである。
「せっかく持っているのだから、活用すればいい」
この考え方こそが、自分の欠点やコンプレックスを、人生で有効活用する道である。
はじめに:欠点やコンプレックスは「資源」である
自分の欠点や短所、コンプレックスは資源である。それらは、自分の可能性を掘り起こすために与えられた資源なのだ。
自分の中の嫌いな部分。「人よりダメだ」と思える部分。そうした部分をうまく活用する方法を見つけることによって、それらは私たちの人生の足を引っ張るどころか、むしろ私たちの人生を助ける。
たとえば、「短気」な性格。すぐに感情的になってしまうというその性格は、一面的には確かにマイナスだろう。
だがそれは見方を変えれば情熱的であり、熱意があり、行動的であるとも言える。そのエネルギーを適切に方向づけることで、「信頼できるリーダー」になることもできるし、「人を元気づける存在」になることもできる。
自分が持っている資源をどのように使うかは、私たち次第だ。それを「これは価値がない」と考えて埋蔵状態にしておくこともできるし、掘り起こして使い道を考えることもできる。どちらを選ぶかは、自分次第である。
なぜ、コンプレックスを持っている人は強いのか?
いわゆる経済的成功者と呼ばれる人々、つまりゼロから一代で経済的な成功を成し遂げた人の自叙伝を読んでいると、興味深い傾向に気づく。
それは、彼らの多くが、成長の過程でお金に関する著しい苦労、いわば「お金コンプレックス」を経験しているという点である。
家が貧しく、欲しいものも買ってもらえず、周囲から軽んじられた。食事や生活に苦労した。
こうした経験が、「自分の人生で、もうお金で苦労しない」という強い決意を生み、その決意が行動へのエネルギーに変わった結果、彼らは願望を現実のものにしていった。
「持っていない」ものへの羨望は、扱いに注意が必要だが、非常に力強いエネルギーである。それは私たちを行動へと駆り立て、不満を満足へと変えようと動かす。
だからこそ、「大きいコンプレックスのある人は、じつは大きく伸びる人」なのである。そのコンプレックスが大きいからこそ、大きく動けるのだ。
欠点は、人生を動かす原動力になりうる
「自分はうまく話せないから、凄腕のカウンセラーになった」
「学校でどう頑張っても馴染めなかったから、自分の生きていく道を自分で作りたかった」
「小さい頃、お金に困った。だから、大人になったら絶対に豊かな人生を送ろうと決めていた」
欠点やコンプレックスは、それ自体はマイナスかもしれない。だが、その見方や使い方を変えることによって、それは自分を殺すものではなく活かすものに変わる。
だから欠点があってもいい。コンプレックスがあってもいい。それらを自分を動かすエネルギーに変えればいい。大切なのは使い道である。正しく使えば、それは確かに自分を活かす。
最後に
「必要なものは最初から与えられている」
これは、確かにそうなのだろう。問題は、自分自身が「与えられている」という事実に気づくかどうかである。
もしかしたら、自分自身の「これは何の役に立つのか」「持っていないほうがマシだ」と思える部分でさえ、何か意味があって自分に与えられているのかもしれない。
それらを否定せず、用いる方法を見つけようとすることで、思わぬ自分、思わぬ人生が拓けることもある。
悩みは人生の重荷ではない。それは、自分を活かす方法を知るための、入口なのである。

