時々理屈に合わないことをするのが人間なのよ。
源静香
今日はハッピー、明日はブルー。今はイエス、3時間後にノー。
コロコロ態度が変わる「朝令暮改」の人は嫌われる人の代表だ。しかし冷静に考えれば、これは変なことではない。なぜなら、人は本来、このような不合理な存在だからである。
そもそも他人は理解できない存在だ
私達は教育によって人は理知的で、合理的、進歩的な生き方をする存在であるかのように教えられてきた。しかし、はたしてそれは本当だろうか?
それは、世の中に存在する理屈では理解できない人を知れば、ますますその疑問を深めることになる。
例えば、損をすることが分かって不可解な行動をする人。自分が無実で裁かれると分かっていながら死地へ向かう人。
人の行動は謎であり、一貫性がなく、予想不能だ。人は機械とは違い、相反する思想を持ち、生きると同時に死に向かっている矛盾だらけの存在だ。
ある偉人が「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」と言ったように、人の行動動機は矛盾に満ち、ナゾだらけで不確かだ。
つまり、理屈そのものが通じない行動をしてしまう。それこそがまさに人なのだ。
「分からない」から「分かろう」と努力できる
だから人のすべてを理解する必要はない。分からないことはたくさんあっていい。その方が面白いし、人を知ろうとする意味がある。
何より、「人とはこんな存在である」と思い込まないことである。
そして、いつでもどこでも人は変わりうる。決して理解することはできない。そのことを謙虚に心に刻んでおく。それは家族でも恋人でも親友でも。どれだけ親しい人も例外はない。
そうすれば出会った人に失望させられず、気長く気ままに、そしてより深く。関わっていくことができるだろう。
最後に
人はそもそもが分からない。だからどんなに親しい人であれ。「分かった」気になってしまうと痛い目に遭う。
良い意味でも悪い意味でも、分からないところはあるし、そもそもすべてを分かる必要はない。自分は自分で人は人。結局はそれで、いいのである。
分からないまま程よく付き合うほうが、「分かった」つもりで付き合うよりも、ずっと安心なのは、確かなのだから。
出典
『映画ドラえもん のび太と鉄人兵団』