「自分の人生において本質的なこと」に気づく生き方

電車を待つ女性

2018年3月頃のことだったと思う。

出張で訪れていた東京の雑踏の中を歩いていたとき、突然「自分の人生において本質的でないことは、やめよう」と思った。

それまで私は「◯歳までにXXする」といった目標を持っていたが、その多くは、自分自身が心から望んでいたものというよりも、「一般的には◯歳までにXXすべきだ」という考えに基づいたものだった。その実現に向けて動いてきたのだ。

そのときの私は、どこかで「頑張っている」「無理をしている」という気持ちを感じていた。ただ、「自分の人生において本質的でないこと」とは何なのか、まだよくわかっていなかった気がする。

そして2020年を経て、思いを強くしていることがある。それは「人生、後悔しないためにやれることをやろう」ということだ。

自分の人生の本質的な意義とは、この世界にいる間に、他人が決めたことではなく、自分が決め、自分が気づいた価値あることをすることだ。私はそう考えるようになった。

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はじめに

客観的に見れば、私はまだ「残りの人生」を考えるには早いかもしれない。だが2020年を経て、どうしても「残りの人生をどう過ごすか?」という問いが、頭から離れなくなった。

これからやりたいことは確かにある。だが、それが本当に自分にとって本質的なことかどうかはわからない。ただ、一つ確かなのは、「後悔はしたくない」という気持ちだ。

私の人生は山あり谷ありだが、学生時代に一つやり残したことを除いては、結果がどうであれチャレンジしてきた。だからもし人生の落日が迫ったとき、私は決して焦らないだろう。

だからこそ思う。人生で何を得たか、何を実現したかはおまけだ。大切なのは、やってみたかどうか。自分の心や価値観に素直に生きたかどうか。それこそが、「自分の人生において本質的なこと」なのではないか、と感じている。

自分の人生において本質的なこと

私の好きな言葉に、こんな言葉がある。

君は君になる必要がある。君は君にしか、なれないのだから。

これは『Super Sonic』という外国の歌(邦訳)の一節だが、確かな真実だと思う。

私は10代の頃、ある歌手に憧れ、服装や髪型、話し方などに影響を受けていた。10代で憧れの人を持ち、「その人と同じようになりたい」と思うことは自然なことだが、それは自分にたどり着くための過程だったのだと、今はわかる。

なぜなら、憧れの人を目指せば目指すほど、「私はこの人にはなれない」と感じたからだ。そして鏡の前で自分を見つめ、「自分とは何だろう?」という思いを強くした。

日々を過ごすうちに、自分が好きなこと、楽しいこと、向いていることや向いていないことに意識が向き始めた。だが20代、30代ではそれを完全には認められず、「自分以外の何か」を演じている自分に気づいていた。

本当はそう思っていない。そう感じてもいない。それをしたいとも思っていない。でも、それをすることが社会的適応だと、心のどこかで思っていたのだろう。「それは違う」という違和感を置き去りにしながら。

そして、2018年3月、東京の雑踏の中で突然、「自分の人生において本質的でないことは、やめよう」という言葉が頭の中に響いたのだった。

正解ではなく、「気づき」を生きる

今は思う。「本質的である」とは、自分を演じないことだと。自分の心に正直に生きること。それが、「君になる」ということなのだ。

『私をたどる物語』という名曲に、こんな一節がある。

髪を切られた少女がひとり 鏡の前で泣いている

母が嫌いと声をつまらせ 自分を悔しくにらんでる

ちがう親から生まれていたら 違う自分になれたという

だけどやっぱりきみはちがうよ そしたらきみはいなくなる

私たちの人生は、一人一人、違う。生まれ、育ち、与えられているものも、備わっているものも。この世に、同じ人は一人としていない。だからこそ、「違う親から生まれていたら」「きみはいなくなる」のだ。

無理に答えを探さなくてもいいのかもしれない。それは、ある日ふと「気づく」ことでいいのかもしれない。

自分がしたいと思うこと。心が動くこと。大切にしたいと感じること。「こう在りたい」と願うこと。そして、それらを否定しないこと。それらこそがきっと、「自分の人生において本質的なこと」につながっているのだと思う。

最後に

先日、車検の待ち時間を過ごすために家から本を持っていった。そのときに読んだのが、『50代からは3年単位で生きなさい』という本だ。

私自身この記事を書いた時点で50代はまだ先のことではあるが、10代の頃は20代を、20代の頃は30代を、40代は50代を、50代は60代を、そして60代は70代をと、やがて訪れる年齢になったときのことをあらかじめ考えておくことが大切だと思っている。

この本に書かれていることは明確だ。「人生に後悔しない生き方」である。10代から30代までは、上を見つめて上昇していけばいい。何かを得ることだけを考え、行動すればいい。

だが40代以降は、もはや上を目指す生き方に限界が訪れ、自分の限界を知り、失うことを受け入れ、「下降」を受け入れることが肝心だと言う。

確かに私は感じていた。もう「何かを得る」ために頑張る意欲が、心の奥から湧いてこないことに。そして「自分の時間」の大切さを強く感じていた。

だからこそ、車検場の椅子に腰をかけてこの本を読んでいた私は、何度もうなずきながら、「人生で後悔しないために」「残りの人生で何をあきらめ、何をするべきか」を考えていた。