「自分の人生で起こることは、自分が予め計画した出来事である。なぜなら私たちの人生の本当の目的とは自分自身の心の成長であり、問題が生じ、それを克服することによって成長することができるからである」
これは『生きがいの創造』という有名な本で紹介されている考え方だが、私はこの考え方が好きだ。
私たちの人生で起こる様々な出来事は、自分自身にとって必要な経験。それらを克服することによって成長することができる。だからこそ、何もかも思い通りになる人生や、幸せな出来事しか起こらない人生を生きる意味はない。
もしあなたの人生で問題が生じているなら、それは「計画通り」。ここで必要なのは、問題が起こった理由と、その意味を見出すことである。
はじめに
なぜ私たちはここにいるのか?何のために、日々様々な問題や悩み、ときに理不尽な逆境に打ちのめされつつ生きているのか?自分自身でその理由に納得できるかどうかは、とても大切である。
理不尽な問題に理不尽としか思えないなら、それは苦行でしかない。しかし、自ら今そこにある問題を意味づけること、すなわち「それは意味がある」ということを自覚することで、人生で起こる様々な出来事を乗り越え、受容することができる。
それが本当に自分自身で計画したものかどうかはわからない。しかしもしその出来事にそれが起こるだけの理由があるとしたら?それを乗り越えようとする力がわいてくる。
それが起こる意味を理解する。それによって
「私たちはそれぞれ、自分自身の成長のために必要な課題が、必要なタイミングで訪れ、それを乗り越えることで成長するようになっている。私たちの目的は、私たち自身の成長だからである」
この考え方は、私たちが経験する不如意な出来事、逆境、不運な出来事に「意味」を与えてくれる。そして私たちは意味に「気づく」ことによってそれを受け入れ、成長の肥やしにすることができる。
逆に言えば、もし起こることが何の理由もなく起こるものであるとすれば、人生は刹那に支配された、味気なく、そして理不尽なだけの、殺伐としたものになるだろう。
それは成長の機会
だが、起こることには「意味」があって、それがほんとうの意味で自分に「必要」なことだとしたら、実際の現実が変わらずとも、見える景色は変わる。驚くほど、変わる。
「この出来事は自分に何かを学ばせるために起こっているのだ」と考えることで、苦境や挫折、不運といった出来事が、ただの理不尽ではなく、成長の機会へとつながる経験へと変わる。
それはただの捉え方の問題なのかもしれない。考え方を変えたところで、今そこにある苦しい現実は、何一つ変わってはいない。だが、捉え方を変えるだけで、気持ちもずいぶん変わるのも確かである。
最後に
私たちは失敗する。挫折する。不運に巻き込まれる。絶望に未来が見えなくなる。だからこそ必要なのである。「なぜそれが起こったか?」を解釈する力が。
それが起こったのは決して無意味ではない。すべては自分自身のため。大切なのは捉え方である。それは自分で用意した計画。必ず、乗り越えることができる。そして乗り越えたあかつきには、それ相応の報酬がある。
最後に繰り返す。問題が起こらない人生、何もかも思い通りになる人生を生きる意味はない。問題が起こるからこそ、度々試練が訪れるからこそ、この人生を、生きる意味があるのである。
参考文献
・生きがいの創造