人生は確かに、運と言えなくもない。
どんな家に生まれるか、どのように育てられるか、学校でどんな人と出会うか、どんな社会情勢のもとで生きるか。そういった様々な運によって、私たちの人生はある意味で形作られる。
自分自身の意思と努力によって、人生を完全にゼロから作り上げることは難しいのかもしれない。だが、それは私たちが人生に対して必ずしも無力であることを意味してはいない。
私たちは、今何をするのかを決めることができる。それをするのかしないのか、決めることができる。選択をするということは、とても大切なことである。
はじめに
私たちは、最悪のときでさえ、「そこから人生が上向く」ことを期待して、今できることをするという選択肢がある。それと同時に、「どうせ人生はどうにもならない」と完全に人生を諦めるという選択肢もある。
どちらにせよ、選ぶのは自分である。そして人生は、私たちが選ぶことによって、それに応じたシナリオが用意されるように思える。
だから、「人生に希望を見つけようとする人」は、遅かれ早かれ、その希望を現実という名のキャンバスに描くことができる。
その一方で、一度人生をあきらめても、「ここからまた歩みはじめよう」と再起を選んだとき、道は再び見え始める。
始まりは意思。「私は~する」という意思。
決めたことが実現する。逆に言えば、決めなければ、それが実現することはない。
すべての始まりは意思である。「私は~する」という意思である。その意思が現実に何らかの影響を及ぼしていることは、過去の人生で目標を達成したり、自分らしい人生を歩み始めている人には、すでに経験済みの現象かもしれない。
その仕組みはわからない。だが、「私は~する」と決めることによって、そこへ至る道が用意されることは確かである。この意味で結局、大切なのは私たち自身の考え方なのだろう。
人生がいくら運に翻弄される不確かな何かのようだったとしても、「私は~する」と決めることによって、それが実現される確率に影響が生じるのだ。
「してきたこと」が現実になる瞬間
私たちは決めることで行動を起こす。そして、行動は着実に現実世界に影響を及ぼす。今すぐ何かが変わらなかったとしても、少しずつ何かが変わっていく。
たとえば、行動の継続が結果を変えることを説く『質量転化の法則』がある。あなたが何か新しいことを始める。1日1時間、コツコツそれを続ける。だが、うまくいかない。何も変わらないように見える。
そこであなたはやめない。コツコツ継続する。すると、ある段階に到達した瞬間、突如あなたはそれができるようになる。「今までの努力」が見え見えて形になる。そう、人生に明確なブレイクスルーが起きるのだ。
行動はまさにこのような性質がある。今すぐ何かを始めても、現実は変わらないように見える。その行動は何の意味も成さないように見える。だが、何かが少しずつ変わり始めるのだ。
最後に
私たちは決めることができる。限られた時間の中で何をするかを選ぶことができる。その選択こそが実は自分の人生とつながっていることを意識することは、とても大切である。
あなたが今、1日10時間以上仕事で拘束されていても、1日30分、何をするかを決めることができる。それは小さな自由かもしれない。だが、その小さな自由を使いこなすことによって、あなたは大きな自由への道を歩み始めることもできる。
それは選択である。「私は~する」という選択である。そう、私たちはどんな状況でも常に何かを選び、始めることができる。それこそが私たち人間が持つ大切な力であり、運命に対する意思表示なのである。
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