人は人、自分は自分と割り切って、本当に好きだと思える人との出会いを待ちましょう。
あせって好きでもない人と結婚しては、本当に自分に合った人との運命の出会いを逃してしまいます。
雑音に耳を貸さず、今の自分と真剣に向き合っていれば、遅かれ早かれ、いい人に巡り合えます。
大平光代(『大平光代のくじけない生き方』より)
私たちは、出会うべきときに、出会うべき人と出会う。逆に言えば、自分の思い通りに、意図したタイミングで出会うことはできない。
人生を変えてしまうような、運命を揺るがすような出会いは、ある日突然訪れる。それは、まったく出会いを意識していないときにやってくる。
しかし、出会うべき人と出会った瞬間、その意味はすぐに分かる。身体と心、全身に衝撃が走り、それまでの世界が一変する。
動くべきときは、まさにそのとき。覚悟を決めるのも、その瞬間だ。そのときに動き出せば、その出会いは、人生において大きな意味を持つ。
「その時」はやがて、訪れる。
私たちは願う。「今すぐ、出会いたい」と。だが本当に大切なのは、決して出会いを焦らないことだ。
よくある失敗は、焦るあまりに、一緒に人生を過ごすべきではない人と関係を築いてしまい、結果として時間やお金、そして多くの大切なものを無駄にしてしまうこと。
焦りは心を曇らせる。そして、焦っているときほど、自信を失っているものだ。そんなときは、自分を必要以上に低く見積もり、自分自身を安売りしてしまう。
出会いを求め、「行動すること」も確かに大切だろう。だが、本当に人生に意味を持つ出会いは、いずれ必ず訪れる。
たとえ自分がそれを意図していなかったとしても、どこかで、必ず。
私たちは「意思」によって誰かと出会うことはできる。ただしその出会いは
結局のところ私たちは、出会うべくして出会い、縁をつなぎ、互いに何かを学び合う。言い換えれば、出会いには必ず“出会う必要性”があるからこそ、出会うのだ。
だからこそ、出会うべきでない人とは、出会わない。たとえ出会ったとしても、その縁はやがて途切れていく。縁とは、自らの意思ではコントロールできないものなのだ。
あなたが「今すぐ出会いたい」と願い、行動を起こしたとしても、その行動は、長い目で見れば「してもしなくても同じ結果」に終わる。
あなたがそれをしたとしても。それをしなかったとしても。結局は同じこと。焦りから起こす行動は、最終的には、あなたの運命に影響を与えるような本質的な意味を持つものにはならない。
「そのとき」が来れば、すぐに分かる。
ところが、である。
あなたは「今すぐ、私の運命を変える特別な人と出会いたい!」などと、少しも期待していない。それなのに——その瞬間が訪れたとき、あなたは必ず、その人と出会う。それは不可抗力であり、そして必然である。
そこに、あなたの意思も、努力も、行動も関係ない。いくら考えても、「なぜこの人と出会ったのか」は、きっとわからない。
自然と、その時が来れば、あなたは出会う。いや、出会ってしまう。文字通り、あなたの人生に影響を与える、重要な縁のある人と。
逆に言えば、その「時」が来ない限り、あなたに訪れる縁は、あくまであなた自身の意思を介して引き寄せたものが中心になるだろう。
もちろん、そのような縁を育てることで、かけがえのない関係に発展することもある。だが、それでもなお、自らの意思によってもたらされた縁は、出会うべくして出会った縁とは、どこか違う。
それこそが、「必然」という言葉の意味なのだ。
最後に
「そのとき」が来たら、私たちは一瞬で気づく。それは、理屈を遥かに超えた確信だ。「この人は、他の人とは違う」——そう感じる、絶対的な確信である。
だが、そのタイミングがいつ、どこで、どんな場面で訪れるかは、誰にも予測できない。
それは、まるで何かに導かれるように、突然やってくる。
だからこそ、重要な縁との出会いは、求めない。「もしそれがあるならば、遅かれ早かれ、やがてそのときが来る」と信じて、目の前の一日一日を丁寧に生きることが大切だ。
それこそが、運命を成就させるために必要な姿勢なのだ。もし、あなたが「そのとき」の訪れを焦っているのだとしたら、その時は「今」ではない。
今は今で、目の前にいる人々との関係のなかで、学ぶべきことを学び、気づくべきことに気づけばいい。そして「そのとき」が来たら、あなたはすぐに分かるだろう。「出会うべき人と、出会った」ということを。
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