人が人を愛するという行為は、自分がまとった社会的な仮面を脱ぎ捨てて、真っ裸になる営みでもあります。
自分という存在が、もう一人の別の存在とつながり合うためには、自分の殻を打ち破らねばならない。
自分という枠を超えて、相手を求めねばならない。言わば自分という檻を飛び越せるだけの跳躍力が必要なのです。
そのためには、日々の日常と同じ平穏な状態では無理なのです。
岡田尊司
誰かと出会って恋をする。でも思ってみれば、誰かを好きになっているときというのは、普通の状態ではない。
理性はどこかへ吹き飛び、「相手が欲しい、側にいてほしい」と、24時間、相手の事が世界の中心となってしまう。それは自分が自分でなくなってしまう感覚と言っていいだろう。
嫉妬心や寂しさ、普段の自分なら考えことを考え、普段の自分が感じないことを感じてしまう。だから恋は人を狂わせる。
心から夢中になれる恋に落ちた奇跡
しかし幸い、人生で自分を本質的に変えてしまうほどの本気になれる恋を何度も経験することはない。
たいていは、それほど好きでもないけど、嫌いでもない。何となく一緒にいて何となく一緒になる。もしかしたらそういうケースの方が多いかもしれない。
だから、もし自分が自分でなくなってしまうほどの恋を経験したなら、それはある意味僥倖というものだ。せっかくのいい機会なので、ときには思いっきりバカになってみるのも悪くない。
大切なのはその恋に全力になること
24時間ずっと相手のことを考える。そして恥をかき、惨めな思いをし、愛されない苦しみを味わうといい。
運が良ければ恋は成就するかもしれない。人生当たって砕けろだ。言うべきことをいい、すべきことをしよう。結果はどうであれ、人生の良い思い出になるだろう。
恋が実るか実らないかに大して意味はない。そんな恋ができたことそれ自体、素晴らしいことなのだから。
出典
『なぜいつも”似たような人”を好きになるのか』