2020年、世界は劇的に変わってしまった。
今までの生活が一転し、しばらくは人生の大きな混乱に巻き込まれる人も少なくないだろう。
しかし、今起こっていることはすべて「過程」である。それはいつか必ず終わる。そしてそれはきっと良きことへとつながっている。大切なのは絶望しないことである。
そこで今後ポストコロナを生き抜くカギとなる言葉が「ゼロリセット」である。つまり、これからの世界は今までの延長線上ではない。すべての物事をゼロから考え直す必要が来たのである。
朝起きて会社に行く。子どもを塾に通わせ、大学に進学させる。あなたが今まで「当然」「当たり前」と考えていることをそのまま引きずってしまえば、今後現実に失望させられるかもしれない。
一方であなたがすべてのことを柔軟にゼロから考え直し、やり直す覚悟を持つならば。過程は転機となる。あなたの今後の人生でより素晴らしい未来を実現するための!
運命は時代に翻弄される
思えば、私たち日本人の先人たちも、幾度となく歴史の大きな変化に巻き込まれた結果、人生を大きく変えられてしまうという経験をしてきた。
例えば1945年の敗戦。その前には明治維新。歴史が大きく変わっていくときは必ず、その歴史に運命を翻弄されてきた人々がいるのである。そして私たちは時代の波によって運命を翻弄されている。
そこで今こそ学びたいのが、激動の時代を生き抜いた先人たちの人生である。
歴史の大きな流れに巻き込まれ、今まで当たり前だと思ってきた現実を失い、ゼロから再起し、新しい人生を切り開いた、先人たちの生き様である。
この記事では、明治維新。今からおよそ150年前に起こった日本の大変革期を生き抜いた、とある人々の話をご紹介したい。
当メディア『人生の気づき.com』は歴史のサイトではないで、細かい出来事や固有名詞は割愛するが、彼らの生き様は今これから激動の時代を迎えようとしている私たちに、生きる勇気を与えてくれる存在であると確信している。
「ゼロ」から運命を切り開いた人々の歩み
2020年3月より、私はこれから時代が大きく変わりだすことを確信した。
そこで、仕事をセーブし、「時代が大きく動いたとき、人々が何を失い、どのように新しい人生を歩みだしたか?」をテーマに、歴史の勉強を始めた。
そのなかで今の時代だからこそ学びたい先人たちの存在を知った。それは江戸時代が終わる激動の時期。今の福島県にあたる、会津藩士たちの話である。
彼らは江戸末期の混迷を極めた時代、皇室や主君に忠誠を尽くして尽力した。変わりゆく「旧体制側」として新しい政府と戦い、敗れ、家族、仲間、そして故郷を失った。
勝者により故郷の福島県から青森県の貧しい地域、北海道に移住させられた会津藩士たちは「賊軍」として辛酸をなめ、貧しさや寒さで多くの人々が命を失った。
しかし、彼らはその苦境に負けることなく懸命に生き抜き、新しい人生を切り開いていった。文字通り「ゼロ」からである。
誇りを胸に新しい人生を生きる
私が歴史を調べる中で特に感銘を受けたのは、北海道の開拓に従事した人々の話である。賊軍としてすべてを失った会津武士たちのなかには、北海道の開拓に従事する人々も現れた。
彼らは北海道に渡り、刀のかわりにクワを持ち、原野を切り開き、生活の拠点を築いた。例えば、現在フルーツの産地として知られる北海道の余市は、会津藩士によって開拓された街である。
故郷を失ったのち北海道という新天地に渡り、会津藩の魂とも言える学校「日進館」を再建し、家を建て街を作り、そしてついには北海道初となるりんご「緋の衣」を結実させた。
当時全くの原野であった余市に入植、暖房もない、食料も十分に確保できない厳しい状況のなかで、開拓に従事することは並大抵のことではない。しかし彼らは新天地で新しい人生を切り開き、後世にその歩みを残した。
彼らの生き様は教えてくれる。どんなに厳しい状況だろうと、たとえすべてを失おうとも、誇りを持って新しい人生を始めることができるということを。
だからネバーギブアップ。
人としての本当の価値が問われるのは順境のときではない。むしろ、逆境のときにそれは現れる。
仲間が大変なときに自分一人だけ逃げ出す者や、仲間を後ろから撃つような人は決して仲間ではない。目の前の逆境にただ怯える者は臆病者である。
しかし、目の前の状況がどうであれ現実を見据え前へ進んでいく。その結果がどうであれ、運命はそんな人を決して負け犬とそしることはないだろう。
今、時代が劇的に変わっていく中、抗い難い困難がそこにあるかもしれないが、それに対してどう反応するか?その選択肢は私たちに与えられている。
一時的に敗北するかもしれない。失望の日々がやって来るかもしれない。
だが、そこからより良く生きようとする意思を持つことはできる。そんな人だけが、これから先に待っている輝かしい時代を、喜びを持って迎えることができるのである。
最後に
私たちは今、時代の変わり目にいる。
何が起こるか、具体的にどうだと言わないが、ただ一つ言えること。それは、私たちが今まで「当たり前」と考えていたことが当たり前ではなくなる、ということである。
そして現実の可能性として、抗うことが難しい時代の変化によって、今まで築き上げてきたものを失う可能性も十分にある。
ただ忘れてはいけないのは、何が起ころうとも、命さえいれば再び「生きていて良かった!」と安心できる日々がやってくる、ということである。
あなたが今、厳しい苦境に立たされており、目の前に絶望が広がっているならぜひ、過去の厳しい時代を生き抜いた、先人たちの生き様に思いを馳せてほしい。
すべてを失ったとしても、人生をやり直すことはできる。また新しい歩みを踏み出すことができる。誇りを持って生きていくことができる。それは紛れもない、真実である。
そう、今私たちは問われている。「あなたはどう生きのか?」と。
参考文献
『りんご侍と呼ばれた開拓者』