人生の不幸の一つは、愛する者に会って話をする幸福が、はっきりした記憶をとどめないということにある。
明らかに魂はあまりにも感動し、思い乱れているため、その感動の原因またはそれに伴う事情に注意を払うことができない。
魂は感覚そのものとなる。おそらくそのために、こうした快感は、意識的に思い出すことによっても元の力を失わないのである。
スタンダール
恋愛とは愛する人を見つけ、人生をともに歩む過程である。
浅い深いはあれど、自分以外の誰かを愛すること。それが人に生きる喜びを与えてくれる。何人もの相手と一発楽しんだとか、そういうことは大した問題ではないのだ。
それは確かに刺激的なことではあるが、もっと本質な楽しみは、愛する人との魂の交流である。
愛とは日々の継続である
愛とは日々の会話など、日常の何気ないことの積み重ね。
それは、あまりにも何気ない小さいことであるため、残念ながら記憶にとどめておくことが非常に難しい。だから過去の恋愛は、常に追憶の対象となる。
この意味で、人生の皮肉は「失ってこそ失ったものの価値が分かる」という話は真実としか言いようがない。
ほんの小さなこと、ささやかなこと。それこそが、本当に大切なものだったのだと気がつくのだ。
大切な愛を失わないために
本当に大切なものはいつもすぐそばにある。当たり前は当たり前のことではない。それに気がつきさえすれば、もう二度と、大切なものを失うことはない。
本当に日々のささやかな時間の積み重ね。それこそが愛であり、人生で本当に大切にする価値があるものである。
「すぐそこ」にあるからといって、決して軽視してはいけないのである。
出典
『恋愛論』