人生には、縁に導かれる場所がある。

喜びを表現する女性

ある女性から興味深い話を聞いた。その女性は転職活動をしており、3ヶ月に及ぶ転職活動の中でようやく、「この会社!」という一社を見つけ、内定を得たそうである。

興味深いのは、彼女がその会社と出会ったのが、転職活動を始めて2ヶ月以上経過した後だったということだ。応募から採用まで、清々しいほど「トントン拍子」に進んだそうである。

転職活動を始めて2ヶ月間、彼女は10社以上に応募してきたが、書類選考の段階で不採用になったり、面接に行っても「ここではない」と感じたりして、「目の前に壁が立ちはだかっている」と、度々感じていたという。

ところが、である。内定をもらった会社の求人を見た段階から、彼女は「ピン!」と来る何かを感じ、即座に応募したそうだ。

その後、書類選考は数日で終わり、応募から翌週には一時面接、さらにその翌日に二次面接の案内が届き、そして内定と、「流れ」が非常にスムーズだったという。それはまるで、「そうなるべくしてなった」かのようなトントン拍子だった。

この話は非常に興味深いが、私はすぐにある言葉を思いついた。それは、「縁」という言葉である。

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はじめに

人、場所、仕事—対象は様々だが、私たちにはそれぞれの人生において、それぞれの「縁」があるように思う。「人は出会うべき場所で、出会うべき人と出会う」という言葉があるが、それは文字通りの真実であるように思う。そうとしか思えない、不思議な縁が確かに存在する。

仕事はまさに、その代表例の一つだろう。あなたが求人情報を検索した瞬間、すぐに気づくかもしれないが、世の中にはたくさんの会社が働く人を求め、求人を出している。だが、それらの求人に応募したとしても、最終的に採用される会社は、応募した会社数より圧倒的に少なくなる。

そして不思議なことに、面接を受ける前から「この会社はどうだろうなぁ…」とモヤモヤしている場合、面接会場にたどり着くまでに迷ったり、直前に雨が降ったりして、なんとなく良い感じがしなかったりすることがある。そうした、結果を象徴するような「サイン」が現れることもしばしばだ。

だが、「ここの会社かも!」と思える会社に出会ったとき、確かに内定を得るまでの道筋は驚くほどクリアである。会社の雰囲気、面接官への印象、内定が出るまでの過程や時間—驚くほど「自然」な感じがするのは、冒頭の彼女だけの話ではない。だからこそ、私たちはこう考える。「縁があった」と。

心の声に、耳をすます。

人生で大切なことは、良い意味で「我を通さない」ことだと私は考えている。

それをしようとしたとき、またはそれを選ぼうとしたとき、心の中がモヤモヤする。何かが気になる。違和感を感じる。そうしたとき、「私はそこへ行く!」と我を通すのではなく、心の声に耳をすまし、「再検討」する。

こうした柔軟な姿勢を保つことは、とても大切だと私は考えている。特に、直感的・感覚的な印象というのは、明確な根拠がないかもしれないが、致命的で決定的な重要なサインであると、私は自身の経験から学び、大切にしている。

「自分の気持ちとしては、せっかくそこにしようと考えたから、そこにしたいと思う」という我があったとしても、「心がなんとなくソワソワする」「理由はわからないが、違和感がある」と感じたとき、私はそれらの声に耳をすますことを、おすすめしたい。

「縁」に導かれる場所

縁がある場所。それは「たどり着くべくしてたどり着く」場所と言えるだろう。それを運命と表現することには抵抗があるが、人生には少なからず、そうした場所があるように思える。

自分でそこへ行くことを意図していない。だが、不思議な流れによって、そこにたどり着いた。それはもしかしたら、「流された」「消極的」な結果のように見えるかもしれない。

しかし、私たちが意識的に「こちらへ進もう」と思っていても、実際には「こちら」とは別の場所にたどり着いてしまうことがある。それを偶然と考えるか、それとも何らかの意味があると考えるか、その解釈は私たちに委ねられている。

ただ一つ思うのは、「そこにたどり着いた」という事実は、やはり何かの「縁」があったのだろうということだ。その「縁」によって起こる出来事、出会う人々、人生で取り組むべきこと—きっとそれには何らかの理由があるのだと、私は考えている。

最後に

「計画」を持つことは大切である。人生を理性的・合理的に考え、目標を設定し、着実に計画通りに進んでいく。その価値について、私は何ら異論を挟むつもりはない。だがそれと同時に、人生には不思議な側面があることも理解し、認める必要があると考えている。

「縁」という言葉は古い言葉かもしれないが、人生をそれ相応に生きてきた中で、過去の出来事の「原因」と「結果」を振り返るとき、そこに何らかの「縁」があったとしか思えない事柄や場所は、たくさんある。

理性を持って人生計画を立てることはそれで良い。それと合わせて、時には聞こえる自分の内なる声に耳をすますこともまた、大切ではないだろうか。すなわち、自分の心に正直になること。自分の直感を大切にすること。

すると、気づくことがある。自分がいるべき場所。出会うべき人々。人生でやるべきこと。そんな「縁」が、確かに存在することに。