ご縁という言葉がある。
この言葉は人と人との巡り合わせの大切さを適切に表現した、とても素敵な言葉だと思う。
ご縁があれば何があろうとご縁がある。ところが、ご縁がなければ、何をどう頑張っても、その人と人生がつながることはない。
この意味で、結局のところその人とご縁があるかないかは、完全に巡り合わせの問題である。
巡り合わせが悪いということ
例えば、今あなたに気になる人がいる。
あなたはその人に熱い想いを寄せて、なんとしても付き合いたいと思っている。ところが、相手は「今は恋人はいらない」という状態にいる。
この場合、いくらあなたが努力しようと。どれだけその人を心に想っても。その人とご縁をつなごうとする全ての試みは、最終的に失敗する。
これが巡り合わせが悪いということであり、この場合の最善の道は「ご縁がなかった」ということを自覚しつつ、気持ちを切り替えて次に向かうことである。
「縁があれば」の真実
逆に、ご縁があって巡り合わせも良い場合。
何もかもが面白いくらいに、信じられないほどスムーズに、2人の関係は深まっていく。2人の間の距離を縮めていくのに、何の障害も現れない。
このように、ご縁がある相手とはなぜか自然に関係を深めることができるし、逆にご縁がない相手、すなわち巡り合わせが悪い相手とは、何をどう頑張っても、最後の結末は決まっている。
だからこそ出会いにおいて最も大切なことは、巡り合わせである。そこに自分の気持ちがどうだとかは関係ない。あなたがどれだけその人を想おうが、全く関係ない。
巡り合わせが良くなければ、最初から結末は決まっている。こうした現実を踏まえた上で大切なことは、出会いにおいて「誰か特定の一人に執着しない」ということである。
ご縁は努力の範囲外だが
出会いを求める上で大切なのは、「努力さえすれば、理想の人と出会える」と考えないことである。
巡り合わせは完全に、あなたの努力の範囲外にある。それは決して自分で思い通りにできることではない。だからこそ「ご縁」なのだ。
巡り合わせの良い人と出会うためには、まずは、心を開いていろんな人と出会う機会を作ることが大切だ。なぜならご縁はコントロールできないが、出会いの数はあなたの行動次第で増やすことができるからである。
出会いを求める努力は決して無駄ではない。だが、出会いがどのような未来へと結実していくか。そこに私たちの努力が介入する余地はない。だからこそ重要である。自分ができること、そしてできないことを区別することが。
最後に
あなたがもし、この世のなかで出会うべき運命の人と出会いたいなら。巡り合わせの良い人を見つけたいなら。出来ることは確かにある。
それは、人と出会うチャンスを作ること。上手くいかないことも多いかもしれない。失敗もするかもしれない。けれど、最終的には、そのなかの一人に、きっと、あなたが心から求めている人が見つかるかもしれない。
なぜなら、ご縁はいつどこで与えられるか分からない。だから出会いの数という努力によって、ご縁をつかむ可能性高めることができる。そして実際出会ったら大丈夫。ご縁があれば必ずうまくいく。そうなるように、なっている。
だからこそそれは「ご縁」なのである。