仕事を選ぶうえで、そして続けるうえで最も重要となるもの。それが人間関係である。
「何を仕事にするのか?」は、ここで述べるまでもなく重要なことではある。しかし、結局のところ、選んだ仕事そのものをいかに続けられるか? そこに職場の人間関係が大きく絡んでくる。
それを示すひとつの事実が、求人・転職サイトが公表している「離職理由」にある。そこでは、「人間関係」を理由に挙げる人が非常に多い。
だが、そういったデータを持ち出すまでもなく、常識的に考えても、人間関係が仕事においていかに重要かは、秒速で理解できるだろう。
結局のところ、たとえ「つらい仕事」だったとしても、職場の人間関係が良好で、お互いに助け合う雰囲気が自然に存在していれば、「今すぐ辞めます」と言い出す人は、そうそう出てこない。
だが一方で、「パワハラやモラハラは日常茶飯事」「特定の人が新人いびりを習慣化していて、人が定着しない」「常に求人を出している」といった“ギスギス”した職場では、常に緊張感が漂っている。
仕事に集中する以前に、職場の人間関係に気を遣い、人間関係で日々神経をすり減らしているのだから、その負担に誰もが耐えられるとは限らない。この意味で、仕事が続くかどうかは確かに人間関係次第である、というのは事実である。
だからこそ、「この人間関係は許容範囲を超えています」と感じる職場に遭遇したとき、自分自身の心身の健康を守るためにアクションを起こすことは、とても大切である。心身の健康こそ、人生の重要な資本なのだから。
はじめに
前置きが長くなったが、ここで「嫌な職場は我慢せずに今すぐやめましょう」という話をするつもりはない。たとえ嫌な職場であっても、それぞれの事情で「現時点」では辞められない場合もあるからだ。
とはいえ、現実問題として「我慢」云々以前に、今後長く働き、生活の糧を得るだけでなく、社会とのつながりを維持するうえで、私たち自身が心身の健康を保つことはとても大切である。
そのため、あなたのような状況に陥った場合、「損切りする」という考え方は確かに重要だと思うし、私もあなたと同じ立場なら今すぐ転職サイトをチェックするかもしれない。そのうえで、一つ参考になる話があるのでシェアしたい。
ある女性が言っていたのだが、彼女はお酒が全然飲めないそうである。お酒を飲んだ人の息を感じただけで酔ってしまうくらい、耐性がないという。
そんな彼女が若い頃に働いていた業界は、懇親会や忘年会などでお酒を強要される機会が多く、その都度「一杯飲みなさい」と言われるたびにストレスを感じていたそうだ。
あるとき、「みんな飲んでいるのに、なぜあなたは飲まないのか」とお酒を強要された彼女は、「私は飲めませんし飲みません!お酒は嫌いです!」とキレてしまった。それ以来、彼女にお酒を無理強いする人はいなくなったそうである。
彼女は言っていた。「我慢することはいいけれど、黙っていたら結局いつまでも我慢し続ける。嫌なことは嫌だと言ったほうが、自分だけでなく相手のためにもなる。我慢は解決にならない」と。
「ノー」を明確にすることは簡単ではない。誰にでもできることではないかもしれない。今すぐ仕事を辞められず、理不尽に耐えなければいけない状況もある。だが、一理あると私は思った。
それは自分だけのためではない
あなたは「今すぐ辞めたい」と感じるほど、相手の対応にストレスを感じている。そこで一つ言えるのは、あなたが我慢しているだけでは、あなたが嫌がっていることに相手が気づかないかもしれない、ということである。
もしあなたが今の仕事を辞めることを考え、すでに別の仕事を探しているのであれば、ある意味で「そこで失うものはない」状況と言える。
であるなら、今すぐ辞める前に、我慢を続けて何も言わずに去るのではなく、一つの学びとして「そのような言い方はやめてください」と、あなた自身の態度を明確にしてみてはどうだろうか。
それで相手が変わらなければ、「そこはそこまでのご縁」と考えて次に進むことができる。だが、もしかしたらあなたが自分自身を尊重し、言うべきことを言うことで、相手に変化が現れる場合もある。それは我慢しているだけでは分からない。
やるべきことをしてどうにもならないのであれば、それは仕方がない。だが、黙って我慢しているだけでは相手にはそれが伝わらないし、何よりあなた自身の心身の健康に影響を及ぼす可能性がある。
それだけでなく、あなたが辞めて次の人が入ったとき、その人があなたと同じ思いをすることになるかもしれない。つまり、誰のためにもならないのである。
私は無責任に「◯◯すればうまくいきます」と言いたくない。しかし、自分の対応を変えることで相手の反応も変わることは確かにある。それは先ほど紹介した女性の例と同じである。
あなたが我慢することで、「あの人は言い返してこない人だから、何を言ってもいいだろう」と考えてしまう人は実際に存在し、そういう人は現実のどこにでもいる。
今回の経験をネガティブに捉えず、「言うべきことを言う人になる」ための経験として、この機会を活かしてみてはどうだろうか。
その人間関係から学ぶこと
あなたも既に感じているかもしれないが、「言いやすい人」に「自分の言いたいことを言ってしまう人」という存在はいる。
今いる場所から違う場所に移っても、なぜか別の名前、別の年齢、別の顔で、似たような人がいて、どこかの職場で遭遇する可能性は十分にある。最初はいなかったとしても、後から現れる場合もある。
考えてみれば、それはとても不思議な現象だが、そこで私が思い出すのは「人間関係は鏡である」という言葉である。いろいろな仕事、いろいろな職場があるなかで、なぜその職場と一時的にしろ縁ができたのか。そう考えると、不思議に思わないだろうか。

あなたと同じように、たいていの人は多くを望んで仕事をしているわけではないだろう。生活の糧を稼ぎ、やるべきことをこなし、周りとも適度に付き合ってやっていければ、それは素晴らしいことである。
ところがである。普通に考えれば合理性のかけらもないことをさも正しいかのように錯覚してやたらと人の仕事に口を挟んでくる人。「私は正しい。だからあなたは私に従うのが当然だ」と根拠なく確信し、自分の意見や仕事のやり方を押し付けてくる人。
共感性が驚くほど低く、ナチュラルにモラハラを行う人。日々働くなかで様々な問題を引き起こしてくる人がいる。そうした存在によって、私たちは距離を置くことや、ときに逃げることの大切さを学ぶ。
環境を変えれば確かに出会う人は変わる。Aというトラブル続きの職場から退散し、Bという職場に移ってQOL(生活の質)が激増することは起こり得る。だが場合によっては、新しい職場に変わって別のことで悩むこともある。
さらに言えば、職場を移って最初は良くても、後から入ってきた人がトラブルメーカーで環境が短期間で悪化してしまうこともある。
ということは、私たちは社会と関わりを持つ以上、そこから誰かと関わり続けるわけであり、出会った人という「鏡」を通じて、きっと何かを学ぶ必要があると考えることもできる。
最後に
我慢は確かに解決にはならない。そして時に、今の時代に重要なのは、戦うことよりもむしろ引き際なのかもしれない。
君子危うきに近寄らず。そこに私たちのQOL(生活の質)にまで甚大な影響を及ぼす問題があり、それが今後の人生に影響を及ぼす可能性が高いのであれば、そこから身を引くことは逃げでもなんでもない。
なぜなら、この世界には様々な場所がある。「ここを逃げるの? あなたはどこにも通用しない無用の存在ですよ」などと言われることもあるが、実際のところ、「あのとき、あの場所を離れる決断をして良かった」となる確率のほうが高いことは、経験者が知ることである。
だが一つ重要なことは、その場所を去る前にできることはしておきたいということだ。それによって環境が変わることもあるし、あなたを悩ます人の反応が変わる可能性もある。
「先のこと」を考える前に、まずあなたがそこで試す価値のあることを試してみよう。
もしかしたら、あなたはその出会いによって「ただ我慢するのではなく言うべきことを言う」という学びを経験することになっているのかもしれないのだから。
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