男が金をほしがるのはつまり女が金をほしがるからだというのは真理だな。そのためにもまずわれわれは、生きなければならん。
愛宕(『青の時代』より)
言うまでもないことだが、人生はお金がすべてではない。
だが、私たちはしばしば、お金を稼ぐことや貯めることそのものを、人生のゴールにしてしまう。本当にそれでいいのだろうか?
ではなぜ、私たちはこれほどまでにお金を求めるのだろうか? それは本当に、私たち自身の欲望なのだろうか? それとも、私たちの意思とは無関係の、何か別の力によって「お金を求めさせられている」のだろうか?
私には、三島由紀夫のこの一節が、私たちが金に対して抱いている本質的な何かを突いているように思えてならない。つまり、私たちがお金を求めるのは確かに欲望によるものだ。だがその欲望は、「他者の目」によって大きく形づくられているのではないか。
そして、「まず生きなければならない」という一言のとおり、お金は生きることと切っても切り離せない。だからこそ、私たちは考える必要がある。お金に「振り回される」のではなく、お金を「どう使って」「どう生きるか」を。
本記事では、お金に対する私たちの欲望の正体を探りながら、振り回されないための視点と、お金との健全な付き合い方について考えていきたい。
はじめに
お金は、人生において避けては通れない存在だ。
それは単なる数字や紙ではない。私たちの欲望、不安、他者との関係性、さらには社会そのものの構造までを映し出す鏡でもある。
そして私たちは、気づかぬうちにお金を「使う側」ではなく、お金に「使われる側」に回ってしまっている。欲望に流され、他人の期待に応えようとし、いつしか「稼ぐこと」や「持つこと」そのものが、人生の目的になってしまう。そう思えてならない。
しかし、本来お金とは、「何かをするための手段」であり、「人生を豊かにするための道具」にすぎない。目的ではないはずだ。
だからこそ大切なのは、お金を何と交換するのか? そしてその交換によって、自分の生活や人生がどう変わるのか?この問いに向き合うことが、お金に振り回されないための、最初の一歩になる。
なぜ私たちはお金を求めるのか?
「もっと稼ぎたい」
「もっと豊かになりたい」
こうした願いを持つことは、ごく自然なことだ。だがその裏側には、さまざまな欲望が隠されている。
お金はまず、生きていくために必要な道具である。食べ物を手に入れるために。住まいを確保するために。あるいは、移動するために。
つまり、お金は現代社会において、最低限の生活を維持するための交換手段と言える。いわば、「生存のための道具」だ。だが私たちは、お金にそれ以上のものを求めている。
人より良い家、高価な時計、デザイナーズブランドの服、あるいはSNSで映える豪華な食事。私たちは、それらを手に入れることで「より豊かに」「より自由に」なれると思い込み、日々働き、競争し、疲れ果てていないだろうか?
なぜか?その根底にあるのは、「他者の目」だ。つまり、それは「人からどう見られるか」を意識した自分自身の演出である。
たとえば、SNSを見てみると、「輝いている私」を演出するために、人々がどれほどの努力をしているかがよくわかる。
その行動の動機には、「すごい」と思われたい、「愛されたい」「認められたい」「選ばれたい」といった、他者からの評価や承認を求める気持ちが見え隠れする。
そして、その願望を叶えるための武器として、お金が使われている。
そのお金は、誰のために求めている?
三島由紀夫は、「男が金をほしがるのは、女が金をほしがるからだ」と書いた。
この言葉は、単なる男女関係を語っているわけではない。私たちがお金を求める背景には、つねに「他者の欲望」がある。つまり、「誰かの期待」や「誰かの価値観」が、いつの間にか「自分の欲望」にすり替わっているのだ。
今、あなたが「欲しい」と思っているものは何だろうか?それは、本当にあなた自身の内側から湧き上がった願望だろうか?それとも、SNSや広告、あるいは友人や家族が持つ『誰かの価値観』を、無意識のうちに借りてきたものだろうか?
今、私たちが「欲しい」と思っているものは、もしかすると違うのかもしれない。それは、自分の内側から湧き上がる願望ではなく、社会から借りてきた価値観、つまり「そう思い込まされているだけのもの」かもしれない。
このことに気づかないままでいると、私たちはいつまでも漠然とした不安に駆られ、お金を求め続けてしまう。いくら手にしても満たされず、「もっと、もっと」と追い求めて、終わりがなくなる。
本当に欲しいのは、お金そのものではないからである。
最後に
『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』という本がある。
この本は、「お金は貯め込むためではなく、人生を豊かにするために使うべきだ」と主張する。この考え方は、多くの人が抱く『とにかくお金を貯めるべき』という常識に一石を投じるものだ。
世の中には「29歳で1000万貯めた私の貯蓄法」や「40歳で3億稼いでFIREした投資術」といった成功談はあふれている。しかし、そのお金で「何をしたのか?」という問いに真正面から向き合う話は少ない。
現実には、1000万円貯めてそれを詐欺で失う人もいるし、お金はあっても使えず、逆に「精神的な貧困」に陥る人もいる。また、資産を築きFIREして豊かな引退生活を送ったとしても、一気に老化してしまったり、心が満たされない人もいる。
私たちはつい、「お金があれば幸せになれる」と考えがちだ。もちろん、お金はあったほうがいい。だが現実はそう単純ではない。
本当に大切なのは、お金に振り回されることなく、「お金は何のためにあるのか?」を問い続け、自分の人生にとって意味のある使い方をすることではないだろうか。
それは誰かの目を気にして、ではない。私たち自身が豊かで幸せな人生を全うするために。