「手段を選ばず」という考え方がある。
結果がすべて。努力は、成果に結びつかない限りムダであり、勝てば官軍だ、と。
たしかに、この考え方にも一理ある。私も、それを重々承知している。だが同時に、こうも思うのだ。
「結果さえ出せるなら、それでいいのか?」
たしかに、「手段を選ばない」ことで、そのときは結果を手にすることができるかもしれない。
けれど、ここで忘れてはいけないことがある。それは、人生は“点”ではなく、“線”でできているということだ。
はじめに
努力したら報われたい。辛い現実より、楽しい現実を送りたい。それは、人としてごく自然な願いだ。
だからこそ、頑張っているのに結果が出ないこと。それがどれだけ意味のあることだったとしても、「現実」というフィルターを通すと、とかく過小評価されがちだ。
一方で、たとえどんな手段を使ったとしても、「結果を出しているように見える人」が、過大に評価されるという現実もある。
しかし、人生とは最終的にプラスとマイナスの帳尻が合うものだ。

いまプラスに見えるものが、後々マイナスに転じることもある。逆に、いま報われていないものが、後からかけがえのない意味を持つこともある。
それはまさに、「人生万事塞翁が馬」。この言葉が示す通りである。
だからこそ、私たちはこう問い直す必要がある。
「結果さえ出せるなら、何をしてもいいのか?」と。
人生で絶対に間違えてはいけない、たった一つのこと
人生において、絶対に間違ってはいけないことがある。それは、人生の優先順位を間違えないことである。
だからこそ、答えは本当は最初からわかっている。たとえその選択が現実の成功や成果をもたらしたとしても、自分の心の平和だけは、決して失ってはならない。
もし仮に、「手段を選ばずに結果を出した」ことで、その後の人生にマイナスの影響が生じたとしたら?
たとえお金や名声、権力を手にしていたとしても、後ろから静かに、しかし確実に迫ってくる“亡霊”のような後悔が、心の平和、そして人生の幸福を脅かし続けるだろう。
その一方、行動し、努力し、たとえ目に見える結果が出なかったとしても。それが自分にとって「正しいこと」だと信じられるならば、その心の満足感は、現実のいかなる成功よりも尊い。
それは人生の勲章として、誰に見せるでもなく、自分の心の中で生き続けるのだ。
過程にこそ、人生の本当の価値が宿る
短いスパンで人生を評価するなら、たしかに「人生は過程よりも結果だ」と言えるかもしれない。
しかし、長いスパンで人生を見つめるなら、人生は結果よりも過程にこそ価値がある。なぜなら、私たちはその「過程」を通してこそ、自分自身の人生の本当の価値を知ることができるからだ。
たしかに人生には、「手段を選ばず結果を追い求めた結果、それが間違いだったと気づく」。そんな学びのカリキュラムが用意されている場合もあるだろう。
だが、もし最初からそのことに気づいているのなら、あえてその失敗を繰り返す必要はない。
繰り返す。人生において結果を求めることは大切だ。しかし、その「結果」を、人生の「価値」そのものとすり替えてしまうのは、明らかな誤りである。
それによって私たちは、もっと大切なものーー信念、誇り、心の平和ーーを、気づかぬうちに失ってしまうのだ。
最後に
「今だけ、金だけ、自分だけ」
この言葉を、あなたも聞いたことがあるかもしれない。
自分さえ良ければいい。今さえ良ければいい。それはまさに、「結果さえ出せばいい」という思考と、根っこでつながっている。
たしかに、「今だけ、金だけ、自分だけ」を追い求めた結果、人生のある一時期には、その“宴”を楽しむことができるかもしれない。
だが、そんな時間は、思ったよりも短い。やがて夜が明け、朝の光が静かに差し込んでくる。そしてその光は、夜の中に潜んでいた偽りを、ひとつずつ明らかにしていく。
そのときになって初めて気づくのでは、遅い。「あれは、あまりに儚く、何の価値もないものだった」と。
あなたは、きっともう気づいているはずだ。人生にはもっと大切なものがあることに。そして、「結果」よりも、もっと大切にすべき何かが、たしかに存在するということに。
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