
人生は長い。良いときがあれば、悪いときもある。
大切なのは悪いときの過ごし方であり、心の持ち方である。人生で不定期に訪れる困難な時期に、「どうせ私は○○なんだ」といった、自分のためにならない心的態度を持ち続けるならば、悪い時期は悪い時期のまま終わってしまう。
しかし、たとえ状況が悪くともそれに引きずられすぎてはならない。人生は山あり谷ありであり、「良い時期があれば悪い時期もある」という言葉を心に留めておくならば、その谷にもやがて光が差し込む。
はじめに
心は、きわめて漠然としたものである。しかし、それは人生において、重要すぎるほど重要な役割を果たしている。
私には、長い間ずっと疑問に感じていたことがある。
それは、「あなたの人生は、劣悪な条件が与えられた無理ゲーのはずなのに、なぜそのように幸せな人生を実現できたのですか?」という人がいる一方で、「なぜ、いつまでも不運の連鎖から抜け出せない人がいるのか?」という問いである。
結論から言えば、両者の違いとして最も合理的かつ納得できる理由は心の持ち方、つまり「心的態度の違い」である。これは、私が10年以上にわたり探究してきた中で導き出された、現時点における明確な答えである。
不幸を乗り越える人、不幸に囚われ続ける人
世の中には、信じられないほど過酷な「悪条件」を抱えながらも、理不尽に立ち向かい、必死に自分の人生を生きようとしている勇者がいる。
一方で、お金持ちの家に生まれ経済的に困ることなく、やりたいことを自由にやらせてもらえる環境に育つ人もいる。塾や大学への学費を親に支払ってもらい、衣食住にも一切不自由しない。
そのような「恵まれた環境に生まれた人」が、確率的に「恵まれた人生」を歩む可能性が高いことは、容易に想像がつくだろう。そして、そうした傾向があることも否定できない現実である。
しかし、ここで大切なのは、「たとえ生まれた時点で恵まれていなくとも、人生は決して無理ゲーではない」という事実である。
この世界には、どれほど厳しい悪条件を抱えていようとも、自分の人生と真正面から向き合い、不運を乗り越えて力強く生きている人々が確かに存在する。
その姿は私たちに、「人生は必ずしも与えられた条件によって決まるものではない」という真実を教えてくれる。
光が差す条件
どれほど厳しい条件を与えられていようとも、それは決して「だからあなたの人生はだめです」という結末を約束するものではない。
いや、むしろ厳しい条件を背負いながらも、自分の人生をつかみ取った人々の話を拝聴すると、そこには「その悪条件があったからこそ」という逆説的な真理が見えてくる。そして、ここで本質的な問題となるのが心である。
「自分の人生はあまりにも過酷だ。だから、何をどうしても無駄なのだ」と考え、ネガティブな心的態度を抱き続け、自分の人生と向き合うことを放棄してしまうなら、その人は「心が変わらない限り、現実もまた変わらない」というレッスンを学び続けることになる。
しかし、たとえ現実が厳しくとも、心的態度を変えることができれば、人生には必ず光が差し込む。それは、他ならぬ自分自身の選択である。
すなわち、目の前の現実がどうであれ、私たちは自分の人生の「これから」を、希望を持って眺めることもできるし、その逆を選ぶこともできるのだ。
最後に
心は、人生において極めて重要である。
「心の態度が人生を変える」ということは、古来より繰り返し語られてきた。しかし、なぜ心が現実を変えるのか。それは、心を変えることで、現実で起こる出来事の受け止め方が変わるからである。
人生で悪いことが立て続けに起こったとき、人は簡単にネガティブな感情に呑まれてしまう。だが、たとえ何が起ころうとも、自分自身を信じ続けることができるならば、それらの出来事はすべて「途中経過」に過ぎない。
くじけず、ひがまず、前向きな心的態度を持ち続けるならば、光はやがて差し込む。最もふさわしいタイミングで。
そして、ここにひとつの明確な事実がある。私たちは、運命にただ翻弄されるだけの、か弱い存在ではないということだ。どんなときも、どんな状況にあっても、心の持ちようは自分自身で決めることができるのだから。


