
運命、あるいは何であれ人の運命を形づくるものは、どれほど必死に抵抗しようとも、私たちの人生に入り込んでくるものだ。
ナポレオン・ヒル(『悪魔の習慣を断ち切れ』より)
ここに一つ、シンプルな疑問がある。それは、私たちはほんとうに、人生を、そして未来を、「選んで」生きているのだろうか?
人生には、「望まない」出来事が、押し寄せる。予想外の転勤。望んでいない別れ。突然のトラブル。実らない努力。「なぜ?」と考えても、そこに合理的な理由は見つからない。ただ、理不尽さだけが胸に残る。
そんな経験をするうちに、こう気づく。「人生には、避けられない流れがある」と。私たちはそれを、運命と呼ぶ。
だが、「起こることには意味がある」と考えることはできる。そして、それにただ振り回されるのではなく、自分のために生かすこともできる。
この記事では、避けられない運命を否定的に捉えるのではなく、むしろ自分の「味方」に変えるための視点について、書いていく。
はじめに
自分の意思ではない何か、コントロールできない何かに人生を振り回されたとき、私たちは怒りや不安を感じ、ときに無力感に陥る。
だがここで一つ、冷静に見つめたいことがある。それは、人生の重要な転機はいつも「想定外」から生まれる、ということである。
ナポレオン・ヒルは、「逆境の中には必ず、利益の種が隠されている」と語っている。種は、そのままでは種のままだが、その種があることに気づき、それを育てることで、その不運は意味づけ次第で転機へと変わる。
つまり大切なのは、起こった出来事を「運命」として無抵抗に受け入れるのではなく、それを自分の人生にポジティブな変化をもたらす「種」として解釈し直し、育てていくことではないだろうか。
「変えられない過去」よりも「今、ここ」の選択
何かが起こる。そして何かが変わる。その「結果」はその時点では予測不能である。だからこそ、変化が起こるとき、私たちは人生のコントロールを失うような感覚に陥る。
昨日と違う何かが起こったとき。「いつも」とは違うと感じたとき。不安や恐れが自然と湧き出す。それ自体は何の問題もない。むしろ、自然な「反応」である。
本当に大切なのは、ここからだ。起こってしまったことに対して、「それは、ありえない」と否定することはできるし、「絶対に、受け入れることはできない」と、抵抗することはできる。
だが、起こってしまったことを、時間を戻して変えることはできない。私たちに与えられた選択肢は、「今」「ここ」で、「どうするか」である。
起こったことを整理した上で、「どうする?」を考え、動き出すことができる。それは、「怪我の功名」になるかもしれない。あるいは、「禍を転じて福となす」瞬間になるかもしれない。だからこそ、大切なのは解釈である。
自分が「コントロールできること」に集中する
では、どうすれば「解釈」を変えることができるのだろうか。ここで特別な何かをする必要はない。大切なのは、ほんの小さな、意識である。
起こった出来事に意味を与えるのは、他の誰でもない、自分自身である。それを不運とすることもできるし、幸運への転機に変えることもできる。
もちろん、結論を今すぐ出す必要はない。「なぜ、今、それが私に起こったのか?」と、問うだけでいい。それが「意味」を育てるための大切な一歩になる。
その上で、自分がコントロールできることに、意識を向ける。自分で変えられないことは変えられない。動かせないものは動かせない。それでもなお、自分がコントロールできる部分はあるはずだ。
変えられないものではなく、例えば自分の態度と行動など、「今ここ」で変えられるものに集中すればいい。それは小さなことだが、「怪我の功名」や「禍を転じて福となす」結果へとつながる種を育てる行動になるのだから。
最後に
私たちが望もうと望むまいと、運命は一方的に、ドアをノックしてくる。
だがそれを不運と見るか、転機と見るかは、自分で選ぶことができる。一見それが不運に見えたとしても、見方を変えることで、そして私たち自身の態度や行動を変えることで、幸運を芽吹かせる種にすることもできる。
起こることは、起こる。それは仕方がない。だが、その出来事をどう意味づけるかは、私たちに委ねられている。私たちは決して、「流されるだけ」の存在ではないのだから。

