人生は理不尽で残酷。最初からそう考えてさえいれば

人生を眺めて

人生は残酷という瓦礫の上を歩くもんだ。

伊集院静

生きていると、時々だがどうしても納得が行かないことが起こる。

納得できない仕事をさせられること。権威に屈して黒を白と言わされること。婚約者の裏切り。突然の失業や病気。長年の努力の失敗。大切な家族の死。

「なぜこんなことが自分の身に起こるのか?」

「一体どうすればいいんだ?」

頭を抱えてしまうことが突然起こる。

理由もなく、原因もなく、不幸は突然やってくる。そんなときは、人生がとても理不尽で残酷なものに思える。

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人生はどんなときも生きるに値する

確かに、人生は理不尽で残酷なものだ。

努力は報われないかもしれない。理不尽な理由で人に嫌われるかもしれない。幸運に見捨てられることもあるかもしれない。

不条理な世界、形がバラバラで無秩序な世界。今にも崩れそうな足場の上を、黙々と歩いて行く。

ときに足元が崩れることもあるが、そんな理不尽な世界を気にせずに歩いていると、時に思わぬ僥倖がある。

そういうときに思う。

「人生は理不尽だが、あきらめずに生きているといいこともあるかもしれない」

だから人生は、決して捨てたものじゃない。

生きてさえいれば、僥倖は実際にある!

辛いことはたくさんある。不運なこともたくさんある。それでもなお、人生は生きる価値はある。生きるに値する何かがある。

どれだけ理不尽な目に涙を飲んだとしても。絶対に受け入れられない現実に直面したとしても。すべてを失い、希望という言葉がただの気休めにしか思えないときも。

人生は生きる価値がある。そして、生きてさえればいつかどこかで、思わぬ僥倖を経験することができる。

そして、すべての出来事は無意味ではないこと。あの理不尽を経験したからこそ、自分は自分であることの意味を、実感することができる。

人生は、それでいいのである。

最後に

現実問題、人生は理不尽である。不公平である。しかしだからこそ、人生をなんとか完遂するために、我々は必死で生きることができる。

そのなかにこそ、本当に生きる価値。そして意味を見つけることができる。

ときに絶望に屈して明日への希望を見失ってもそれでいい。ただ前に進み続けていくこと。それさえできれば、きっと人生はなんとかなるのだから。

出典

『悩むが花』(文藝春秋、2012年)

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