人には得手不得手がある。
もちろん私たちは努力することができる。努力によって、不得手を克服するというチョイスはある。
しかしあいにく、その努力には限界がある。あなたが苦手なことをいくら努力によって克服したとしても、それが「最初から」得意な人には敵わない。何より、苦手を克服するためには膨大な時間が要求される。
ではどうするか?苦手を克服する時間があるなら得意を強くした方がいろんな意味で効果的、という話である。
はじめに
現代社会において重要なのは「自分を知る」ことである。自分を知ることは自分を活かす道であり、自分を活かすからこそ本当の意味で自分を救うことができるのである。
苦手を克服し自分の能力を「平均化」していくというチョイスもあるが、その試みはこの世界においてますます、自分の選択肢や可能性を狭める悪手となるだろう。
すなわち「自分を知らない」ということは人生のリスクとなりうる。
苦手は思い切って切り捨てる!
私たちに必要なのは「選択」である。すなわち、自分が何をして何をしないのか?何を得て、何を捨てるのか?自分自身で決めるのである。
私たちは生まれた瞬間より、「自分」というスペックが与えられる。そのスペックは人それぞれであり、決して万人が万人、同じスペックを引き継いでいるわけではない。
そのため、人によってあることはできることはできるけどあることはどうしてもできない、ということが現実として起こる。良い悪いは別として、この前提を認める必要がある。
努力によって苦手を克服できる可能性はある
もしかしたらあなたは「私たちはどんなことでも努力すれば克服できる!」という信念を持っているかもしれない。それは確かに正しい。
ただ一つ忘れてはいけないことは、「私たちの人生が永遠に続くことはない」という事実である。
もし、私たちが「時間」という束縛から自由であるならば、苦手なことでさえ、意思の力を持って粘り強く努力を続けることによって克服することができるかもしれない。
それは素晴らしいことである。
問題は時間が「有限」であること
しかしあいにく、人生には限りがある。どれだけ長く生きたいと思ったところで、私たちは刻々と老い、年を重ねていく。
時間という制限の中でいかに自分のスペックを有効活用できるかどうかが人生である。であるならば、与えられたスペックを最大限に活かすことが大切である。
そしてそこに、自分が自分というスペックを与えられた意味がある。
本当の意味で自分を活かすために
「自分を見切る」というと冷たい感じがするかもしれない。でもそれは、本当の意味で自分を活かすために必要な過程である。
自分の無能な部分。そして伸びる可能性がある有能な部分を見極めることによって、それが自分という名の物語をめでたしめでたしへと導くヒントになる。
あなたに99の短所があったとしても、たった1つの長所によってあなたの可能性が花開く。それが人生の不思議な配慮である。
だから苦手は苦手でそれでいい。そんな努力をするかわりに、自分の得意を磨くことが大切である。