「どうにもならないとき」に直面したときに知っておきたいこと

青い空を見上げて

人生良い時があれば悪い時もある。

「普段の心がけ次第で悪い時が来ないようにすることができます」というなら現実はもっと楽になるだろう。

だが、実際問題、いくら日々注意を払おうと、真面目に、そして誠実に生きていようと。ある日突然、悪い時はやって来る。

そして更にもう一つ不都合なことに、悪い時には悪いことが重なるものである。その結果、「今、私の現実は最悪の状態です」となってしまうことが、往々にして起こる。

この記事は、そんな状態になってしまったあなたのための記事である。

はじめに

まず結論から言うと、どうにもならないときはほんとうにどうにもならない。

どれだけ意思を持ち現状に抗おうとしたところで。そこに「人智」「努力」が介在する余地がないことを、どうにもならないことを経験したあなたなら、すでにご存知かと思う。

いくら、自分の脳みそをフル回転させ、「この手を打てば状況を打開できる!」と必死に困難に抗ったとしても、どうにもならないときはどうにもならない。

ただしそれは、「だからもうあなたはダメです」ということを意味してはいないことを、ここで強く強調したいと思う。

なぜなら、目の前の現実がどうにもならなくなり、大切にしていた日常が失われたとしても、それは変化の「過程」である。

どうにもならない現実を経て私たちは次のステージへと進む。するとそこには、自分が想像もしていなかったような、「生きていて良かった!」と思える現実が待っているのが人生なのである。

その出来事は幸せへの転調かもしれない

人生万事塞翁が馬。

「もうダメだ・・・」

「どうにもならない・・・」

このような苦境に陥っているとき、あなたの頭の中に浮かぶ思考は悲観的で、「お先真っ暗」の不幸なイメージが、あなたの心を支配しようとする。

確かに、目の前の現実に必死に抗っているにも関わらず、状況は良くなるどころかますます悪くなる。そんなとき、前向きな気持ちを持ち続けることは難しいだろう。

そこで提案したいのは、いっそのこと開き直ってしまうことである。あなたが目の前の現実に対してベストを尽くしているなら、「どうにもならないことは、どうにもならないのだ」と、開き直ってしまうことである。

なぜなら、その「どうにもならないこと」が起こった結果あなたは敗北感を味わい、一時的に不幸な境遇に落とされるかもしれない。

しかし「人生万事塞翁が馬」。それが本当に不幸な出来事かどうか?今後10年20年の単位で見ない限り、分からないのである!

むしろよくあるケースとしては、「あのときは本当にきつかった。でも、あの不幸があったからこそ私は今、こんなにも幸せです!」という現実が待っているのが人生の不思議なところである。

「自分の人生」を信じる

何をしてもどうにもならない。事態は刻々と悪化していく。そんな中で「絶望するな」と言われてもそれは無理な話である。

あなたが築いてきたものが失われていく。それは悲しいし、悔しいだろう。でも大切なのは、あなたが今できるベストを尽くした結果そうなってしまったなら、もうそれはどうにもならないことなのだ。

ならいっそのこと、「これはもうどうにもならないな」と開き直ってしまうおう。

もしあなたがそうできるならそれは素晴らしい朗報である。あなたがここで開き直れるということはまさに、「あなたが自分の人生を信じている」ということを意味しているからである。

「一時的に不幸に打ちのめされたとしても、最終的に自分の人生はなんとかなる」ことを、信じているからである。

最後に

ほんとうに、どうにもならないことはもう、意思や努力の力を超えている。

まるで理不尽な暴力に自分の人生を蹂躙されているようなものだけれども、それで人生が終わるわけではない。大切なのは「それが起こった結果どうなったか?」である。

私たちの人生はつねに、変化の中にある。幸福な出来事の中に不幸の種が植えられている。そして、不幸な出来事の中に幸福の種が植えられている。

何が起ころうと、自分の人生を投げ出さない限り、明日はまた続いていく。だから、明日を信じて生き抜こう。「それはきっと良いことへ変わる」と信じて、耐え抜き、乗り越えていこう。