なぜ言葉が大切なのか?言葉はやがて人生それ自体を表現するから

にこやかな女性

江戸時代に国学が盛んになって、みずからの主張をもつようになったのも、仮名文字に負うところがある。屈伸に自由でなく、連結に緊密を欠く漢文字では、思想の表現はおのずからそれに制せられる。

鈴木大拙

「言語によって性格が変わる」という話がある。個人的にはそれは信憑性があると考えている。

例えばとても興味深い話だが、日本にいるときにはあまり自分を主張できなかった人が英語を学び英語圏の住人になったとたん、「あなた、そんなに自己主張する人でした?」と劇的な変身を遂げるということはしばしば知られる現象である。

なぜこのような現象が起こるのか?その理由は様々だろうが、一つ、シンプルで分かりやすい理由がある。それは、「言葉が私たちの思考や感性、行動、在り方に影響を与えている」ということである。

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はじめに

私たちは言葉を使って考え、思考する。「内」で思考されたことは「外」に行動として現れる。すなわち、使う言葉によって私たちがどのような人になり、どのような考え方を持ち、どのような道を歩むのかが影響される。

だからこそ人々の行動を管理し自分たちの都合の良いようにコントロールしたいと考える人たちが必ず行うことは、人々の言葉をコントロールしようとすることである。それは歴史を勉強すればすぐに理解できるほどの「テンプレ」である。

言葉がコントロールされるということは、私たちの思考や感じ方がコントロールを受けるということを意味する。「◯◯について話してはいけない」という統制は「◯◯と考えてはいけない」「◯◯と感じてはいけない」ということを意味する。

言葉が統制されればやがて行動も統制される。行動が統制されれば現実も統制される。それほどまでに言葉が持つ力は大きい。そして私たちにとって重要である。言葉を大切にし、自らの思考を育むという行いが。

自分自身の人生を自覚的に創り出す方法

普段頭のなかで浮かぶ言葉。何気なく発する言葉。それがいかに人生に浸透し、影響を及ぼすか。その事実を知ることがまず、自分自身の人生を自覚的に創り出す始まりである。

繰り返すが言葉は思考であり、思考は行動となる。行動は現実に影響する。だからこそ言葉は始まりであり、私たち自身の在り方、そして人生を規定する。

この意味において、自分の人生を主体的に選び生み出す方法はシンプルである。自分自身で言葉を主体的に選んでいくことである。

不平や不満、問題を表す言葉ばかりを混んでいれば現実もそうなっていく。だが問題があるにせよ問題の解決に向けた言葉を意識して選び発することはできる。それによって問題が解決される可能性が生じる。

ここで重要なことは、言葉を選ぶということはこの世界や人生のマイナス面に目を背けることではない。自分の思考を検閲することでもない。マイナスの先にあるプラスに目を向けて言葉を選んでいこう、ということである。

使われた言葉が、人生で顕在する

問題を問題として認識することはとてもかんたんである。それは誰にでもできる。だがそれをしているだけでは問題は問題として残り続ける。そこで問題ではなく「問題が解決された状況」に意識を向け、それを言葉によって表現する。

今そこにある問題の存在は否定しない。そうではなく問題があることを認め問題が解決される状況を言葉を使って表現する。すると「どうすれば問題が解決されるか?」という意識が生じ、その具体的な方法が見え始める。

言葉はまさに創造の力である。人生で使われる言葉は文字通り人生において顕在する。その力をどのように使うかこそが、自分自身によって問われる。

言葉は思考を生じさせ、思考は行動を生じさせる。人生という結果に現れている現象には、そもそもの「根っこ」があるのである。

最後に

「言いたいことを言うことができる」ということ。それはとても素晴らしいことであり、自由にものを言えるということは民主主義社会の根本である。

逆に言えば、言いたいことが言えない社会とはディストピア、つまり自由のない息苦しい社会である。言葉が縛られることは思考、そしてしいては生き方まで、自分以外の誰かに制約されることになるからである。

言葉は私たちの思考を形づくる。思考はやがて行動になる。行動はやがて人生それ自体を紡ぐ。だからこそ言葉を誰かに縛られることを許してはいけない。

言葉を縛られるということは、自分自身の人生ですら縛られることを意味する。だからこそ自分のことは自分で決める。そのために大切なのが言葉である。それはまだ、選ぶことができる。自分自身によって。

出典

『日本的霊性』