自分の人生における「最善の答え」を見つけるカギ

考える男

突然だが、最近つくづく思うことがある。それは、「自分の頭で考える」ことの大切さ、である。

私たちは結局、自分にしかなれない。それはつまり、「自分にとって最も最善な選択を考え、実行できるのは自分しかいない」ということを意味している。

世の中がどうであろうと、周りの人が「こうした方がいいよ」とあなたのためを思い親身にアドバイスをしてくれたとしても、それが本当にあなたにとってベストな話かどうかはわからない。

だから世の中の空気を読んだり周囲の人の話を聞くことは大切だが、それで結局どうするのか?自分で考え、行動することが大切である。

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はじめに

「自分のことは自分で考える」というと、何やら自己中的な響きがするかもしれないが、私たちは周囲と折り合いをつけつつ、自分にとってベストなチョイスをする必要がある。

なぜなら、自分の人生において最終的に責任を背負うことになるのは、結局自分しかいない。

周囲の人や、えらい人は、あなたに「◯◯しなさい」「XXした方がいいですよ」と言ってくるが、「それをした結果どうなったのか?」という結果を背負うのはあなたである。

そしてさらに言うなら、あなたにあれこれと口を挟んでくる人が必ずしも「あなたのため」を思ってそのような行動をしているとは限らない。

なかにはあなたを意図的に一定の方向へと「ミスリード」しようとする人もいる。人の話に耳を傾けることは大切だが、人の話を聞いた結果どうするかを決めるのは、他ならぬあなた自身の仕事である。

記事の本筋でズレるためここで深く語りはしないが、もしあなたが「私はダメだ・・・」と自己肯定感を持つことが難しい状況の場合。

「私はダメ」という考えは誰かに刷り込まれた可能性が高いということを、ここで指摘しておく。

「人生の正解」を見つけるために

「日本人は」という言い方は好きではないが、一般的な傾向として、私たち日本人は、「私はこう思います」と自分の考えを主張するより、周囲の空気や考えを読み取って、そこに自分を合わせていく傾向があるように思う。

それはそれで必ずしもマイナスではないのだが、これからの時代においては、周囲の空気を察しつつも自分自身で考え行動し、自分にとっての「最善」を追い求めることが特に重要である。

なぜなら、今、そして今後はますます、「人生の正解」が見つかりにくい時代になっていくからである。

自分の人生像。健康。ライフスタイル。仕事。人間関係。行動原理。周囲の人々や社会の流行や空気とは別に、完全に「私はこう思う」「私はこうしたい」「私はこうなりたい」という自分像を持つ。

人の意見や情報はあくまで参考にし、今ここにある現状からどう人生を歩んでいけばいいか?自分自身考え、行動していく。そんな「個」の力が必要とされている。

自分の「立ち位置」を意識する

自分で考え、行動し、結果に責任を持つ。そんな「自分1st」の姿勢を貫くことはとても大切である。

一方で、私はここで「社会や周囲のことはどうでもいいから、自分のことだけ考えて生きましょう」と言いたいのではない、という点は強く強調しておく。

周囲と自分を同調させる姿勢を示すことはとても大切である。他者の意見や価値観を認め、周囲の空気感を乱さないことは大切である。なぜなら私たちは、社会という共同体の一員だからである。

とはいえ、先に述べたように、私たち日本人はとかく自分のことよりも周囲を優先し、自分を抑圧しようとする傾向がある。そこで、周囲の空気を読み、それを尊重しつつも、自分の立ち位置を自覚しておくことが大切である。

周囲との摩擦を避けるため、必要がない限り、自分の考えをいちいち周囲に主張する必要はない。つまるところ、あなたはあなたの考えを持ちつつもあえて波風を立てる必要はない、という話である。

最後に

ただ一つ言えるのは、これからの時代、

「有名な誰々さんがこう言っている」

「周りはこうしている」

「ネットでこう書かれている」

「メディアでこう報道されている」

与えられた第三者の意見、情報を鵜呑みにし、自分の頭で考えることを放棄する人にとっては、厳しい時代がやってるだろう。

無意味に人と違う自分になる必要はないが、「周りは周りで自分は自分」という明確な境界線を引いておかないと、かんたんに自分を見失い、そして流される。

誰が何と言おうと、周りがどうだろうと、自分はどう感じ、どう思うのか?そしてどうしたいのか?考えることが大切である。

それこそがこれからの時代、自分の人生における「最善の答え」を見つけるカギとなるだろう。