人生を形成する大きな要因の一つ。それは私たちの外側ではなく内側にある。
生まれた時代、育った環境、世の中の状況といった自分の外側にあるものは確かに私たちの人生に大きな影響を及ぼす。だがそれと同等に、場合によってはそれ以上に重要になのが心や思考といった、私たち自身の内的なものである。
なぜなら人の内側にある心が何を感じ外側の世界をどのように映すかを決める。そして心から生じる思考は行動となり、行動は現実世界という外側に作用する。ゆえに人の内側にあるものがやがて外側の現実を作り出し、それが人生という道のりを決める。
結局のところ、どんな人生を送るのか?どんな生き方を選択するのか?それらを本質的に決定するものは、私たち自身の内部に潜んでいるのである。
はじめに
人生観という言葉がある。それは、
「人生とは◯◯である」
「◯◯のように生きるべきである」
そういった価値観を指す。そしてそれは、その人の生き様に大きな影響を及ぼす。
たとえば、
「私は常識的で安全安心な人生こそが正解だと信じています」
という人生観を持っている人が、学校を中退したり定期的な収入が保障される仕事を辞めて銀行から多額のお金を借りて起業するなど、人生でつまずくリスクを背負う生き方を自らの意志で選ぶ可能性は極めて低いだろう。
その一方、
「私がこの人生で最も重要視することは、自分らしい生き方です」
という人生観を持っている人であれば、他の人がどう言おうとも、損得ではなく自分の直感を大切にした選択を重視し、自分が感じたことや信じたことを第一に、物事を選択し、仕事や人間関係、ライフスタイルを選択するだろう。
このように、私たちは自分自身が内側に抱いている人生観によって、現実世界という外側における行動、そして選択は変わっていく。
人生という結果の裏側には、そこに至るまでに行動と選択があり、それらを決定付けているのは、人生観という外側からは見えない、内側にあるものなのである。
自分の歩みを道を自覚する意味
自分自身がどのような人生観を持っているか?それを自覚することはとても大切である。
人生観は自分自身でそれを自覚し確認しない限りにおいて、無意識に人生のあらゆる行動にその影響力を行使する。その結果、知らず知らずのうちに(頭で考える)自分の意図とは無関係の方向へ進んでしまうこともあり得る。
自分の人生観の確認をしないまま人生を送り続けた結果、人生の黄昏時を迎えたとき、
「こんなはずでは・・・」
と後悔してしまうのはよく起こることである。
たとえば、知らず知らずのうちに
「人生とは生存のため。自分の幸せのために人生はある」
という人生観を持っており、すべてにおいて自分の快不や利益が優先される自分ファーストの生き方を優先した結果、表面的にはどうであれ、人とのつながりが絶たれ、物質的な満足度とは裏腹に精神的には困窮し、一人砂漠に迷いこむような人生になってしまうのは寂しすぎる。
後悔はしない。そのために
自分で自ら選択したことであればその結果がどうであれ、それを受け入れることができる。だが、
「私はこのようになった人生を歩む意図はありませんでしたが、気づいたらそうなっていました」
という場合、その結果に満足することはとても困難である。そして後悔も大きい。
だからこそ、自分の人生はどのような人生観によって動かされているのか?自分自身でそれを確認することは、今後どのように生きていくのかを決める上で、とても重要なことである。
結局、自分の人生とは自分自身で納得し責任をとるものである。人生の結果について、他の誰かがその責任を負ってくれることはない。自分自身で受け止めるしかない。だからこそ「自覚」が必要である。
「これこそが自分の歩む人生です」
という自覚が。
最後に
「人が真に変わるとき。それは心が変わるとき」
と言われる。
それはまさしく、心という内側にあるものこそが、行動という外側に影響を及ぼすからである。
心を人生観と置き換えてもいい。
「私は◯◯という人生観を持っています。だからこそ」
という内側にあるものが、この現実という外側に、行動という形で影響する。
なぜ会社に行くのか?その仕事を選ぶのか?今のライフスタイルを選ぶのか?それらはどのような人生観に基づいた選択なのか?自分自身でそれらを選ぶことになった原因について、自覚することが大切である。
そして最後に重要なこと。自分の内側を変えたとき、外側の現実も変わり始める。目覚めることによって私たちは、自分自身の人生の舵を取ることができるのだ。