私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
どんな神であれ感謝する
我が負けざる魂に
無残な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流そうと決して頭は垂れまい
激しい怒りと涙の彼方には
恐ろしい死だけが迫る
だが長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私は我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ
ウィリアム・アーネスト・ヘンリー「インビクタス」
こんな男がいた。
男は、人が肌の色で分けられ、自由や尊厳が奪われ、憎しみ合い、争い合う世界で「いつか、人々が手を取り合う日が来る」と信じ続けた。だが現実はあまりに過酷だった。男は政治犯として逮捕され、27年もの歳月を牢獄で過ごす。
彼を覆ったのは、希望の光さえ差し込まぬ「漆黒の夜」。閉ざされた鉄格子の奥で、彼の前に広がっていたのは、出口の見えない「奈落の闇」だった。
それでも、彼の魂は決して折れなかった。彼は絶望の中で叫ばず、怯まず、心の中に火を灯し続けた。その支えとなった詩こそ、ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの「インビクタス」だった。
この男の名を、ネルソン・マンデラという。のちに南アフリカの大統領となり、アパルトヘイトという巨大な不正と戦い、赦しと共存の未来を築いた人物である。「インビクタス」は、そんな彼の心を支えた詩だった。
肉体を閉じ込められても、魂は誰にも縛ることができない。夜はどれほど長くとも、必ず明ける。自由は、外から与えられるものではなく、自分の内から生まれるもの。
この詩は、私たちにも静かに、しかし力強く問いかけてくる。「あなたは、自分の人生の支配者であるか?」「あなたの魂は、いま自由であるか?」と。
はじめに
私たちの人生には、誰にも見えない「夜」がある。突然訪れる試練、失敗、孤独、喪失、そして未来への不安。そんなとき、人は立ち止まり、迷い、時に心が折れそうになる。
だが、忘れてはいけない。たとえ外の世界に光がなくとも、自分の中には「消えない灯」があるということを。
どんな境遇であろうと、最後に「どう生きるか」を決めるのは、自分自身。誰かに支配されるのでもなく、運命に流されるのでもない。私たちは苦しみの中でさえ、「自分の人生を選び取る力」を持っている。
なぜ、「あなたこそが、自分の運命の支配者であり、魂の指揮官」なのか?それは、私たちが、魂の自由を持っているからだ。
私たちは、外の世界がどうであれ、何を信じ、何を感じ、何を想うか、選ぶことができる。それは、どんな絶望のなかでさえ、私たちに立ち上がる力があることを、意味している。そう、私たちの中に「不屈の魂」が眠っているのだ。
逆境の中でも希望を見失わない力
「無残な状況においてさえ、私はひるみも叫びもしなかった」
人生には、言葉にできないほどの苦しみが訪れることがある。人前では笑っていても、心の中では崩れそうになっている。そんな日々は、確かに訪れる。
私たちを打ちのめすものは、いつも目に見えるものとは限らない。未来への不安、仕事での失敗、人間関係の孤独。「私なんてダメだ」という劣等感。誰にも言えない後悔や、ふいに押し寄せてくる焦り。
それらを消し去ることはかんたんではない。それでも私たちは、無残な状況の中でも、ひるまず、叫ばず、立ち続けることができる。「私は、絶対に屈しない」と自分を信じて。
「叫ばなかった」のは、心のどこかで「まだ終わっていない」と信じ続けているから。「ひるまなかった」のは、恐れを感じてもなお、自分をあきらめなかったから。
希望とは、何かを待つことではない。希望とは、「絶望に支配されない」こと。それは、どんなに小さくても、「自分の中に火を灯し続ける」という、魂の選択である。
そしてそれは、誰かに「こうしなさい」と言われるものでも、命令されるものでもない。突然、与えられるものでもない。それは、私たちが自分自身で、「選ぶ」ものである。
たとえ周りがどんなに暗くとも、自分の中にだけは、決して消えない灯を守り続ける。それが、「夜を生き抜く心」であり、「不屈の魂」とともに生きる、在り方である。
人生を自分の手に取り戻す
「私は我が運命の支配者」
「我が魂の指揮官なのだ」
この詩の最後の一節は、静かでありながら、強い決意に満ちている。それは、「何があっても、私は自分の人生の舵を握り続ける」という、覚悟の宣言である。
私たちは日々、さまざまなものに振り回される。他人の期待、社会の評価、家族の視線、過去の失敗、未来への不安。
ときには、誰かの一言によって、いともかんたんに自分を見失う。そして気づけば、何かに怯えながら、誰かの顔色を見ながら、自分の選択すら他人に預けてしまっていることがある。だが、そこに自由はない。
「運命の支配者である」という言葉が教えてくれるもの。それは自分の人生の責任は、他の誰でもない「自分」にあるということ。
つまり「支配者」とは、他人を支配する者ではない。それは、自分自身の内面に責任を持ち、自分の意志で人生を選び取っていく人を指す。
私たちは迷い、怖れ、立ち止まる。だがそれでいい。ここで問われるのは、このままでいたいか?それとも変わりたいか?その選択を、自分自身で決めることである。
答えは、誰かに与えてもらうものではない。自分自身で決める。それが、自分の在り方、そして人生を決めるということである。
そして私たちは、どんな運命の中にいても、「自分で決めること」はできる。どんな状況でも、「自分の魂の指揮官」でいることはできる。それだけは、絶対に誰から奪われることがない、唯一無二のものだからである。
最後に
人生の夜。その暗闇は深く、出口が見えないように感じるかもしれない。
しかし、ネルソン・マンデラが教えてくれたように、どんなに長い夜でも、必ず明ける時が来る。そして、もし身体が囚われていたとしても、魂は決して囚われない。
困難に押しつぶされそうなときも、恐れや不安に揺れるときも、どうか忘れてはいけない。私たちの中には、誰にも奪えない自由があるということを。
それは、私たちがどう考え、どう感じ、どう選ぶかという、魂の自由。その自由こそが、絶望の闇を照らす小さな光となり、私たちを前へと導く灯火になる。
人生の主導権は、私たちの手の中にある。だからこそ、どんなときも、決して絶望に負けず、魂の灯を守り続けよう。私たちは、人生の主人であり、「自らの生き方を決める」力があるのだから。
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