「なりたい自分」になれない人生は失敗ではない

私ならやれる!

30代になり、つぐつぐ人生は面白いなと思う。

人にはそれぞれ、理想の生き方があると思うが、心のどこかで無意識に期待しているものは、それがどこかでカタチになってくる。

それは自分が思ったようなカタチではないけれど、「こんな在り方もいい」と思えるカタチで落ち着いていくる。私の人生もそうだった。

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カタチを変えて最善の結果がやってくる

私が10代だった頃、会社や組織に勤めずに自分一人で仕事をして生きてける、そんな生き方がしたいとずっと思っていた。

それで10代の頃は音楽に夢中になっていたので、音楽家になりたいと上京、夢を叶えるために努力を続けた。

だが現実はかんたんに上手くいかず、「現実的」な選択をするために大学生となった。それで夢や希望、全てを捨てて大学を卒業し、人並みの普通の暮らしをしていこうと心に誓った。

ところが就職に失敗。そこから20代、長い修行人生が始まるが、結局不思議なことに、長い夜が明けたとき、10代の頃自分が夢見ていたライフスタイルが実現した。

それは決して自分が想像していたカタチではないけれども、当初の目標とは全然違うカタチだけれども、本質的な部分では自分の無意識が現実のカタチとなった。本当に人生は不思議なものだと、改めて思う。

だから例え人生が自分の思ったようなカタチなっていなかったとしても、それはそれで良いのかもしれない。

なりたい自分になれなくても、今いる自分はそれそれできっと正しいのだろう。だから、人生「こうあるべき」とか考えず、頭を柔らかくして柔軟にやっていけばいいのだ。

自分で自分を見切らない

人生で挫折してしまう人は往々にして柔軟性が欠けている場合が多い。

自分が「こうだ!」と決めたら、それを曲げずに教条化してしまう。それは素晴らしいことなのかもしれないが、初志貫徹、何から何まで物事を最初から一貫させるのは難しい。

それに、変化の激しい今の時代、それはかえって可能性を狭めてしまうことになるような気もする。だから目標くらいは大まかに持っておくのはいい。

ただ、その方法や過程は柔軟にし、ときに目標を反故にしてしまうくらいがちょうどいいような気もする。なぜなら、最終的に無意識で本当に欲しているものは方法や手段がどうであれ何らかカタチになるからだ。

だから目標に失敗したり、夢が叶わったように思えても、「自分はダメだ、人生はおしまいだ・・・」と絶望する必要はないと思う。

人生は皮肉屋で、欲しいときには欲しいものを与えてくれず、こちらが忘れたタイミングで欲しいものを与えてくれる。

夢や目標にこだわるのも一つの生き方だが、なりたい自分になれなくても、人生思い通りにいかなくても、それはそれで意味があるということを忘れないようにしたい。

最後に

人生はどこでどうなるか分からない。ずっと昔に願っていた夢が、不思議なタイミングで実現する。

人生挫折続きで失敗続きだったのが一転して、挫折を帳消しにするような幸運に恵まれる。だから自分で自分の人生を見切らないことが肝心だ。

人生自分の思い通りにはいかない。しかしそれはあくまで自分視点の話だ。どうやら物事にはタイミングがあるようで、上手くいかないことは上手くいかない理由がある。

それはもしかしたらただ単純に、時を得ないがゆえに、上手くいかなかっただけなのかもしれない。

何にせよ、失敗は失敗ではない。夢に挫折しても、目標が達成できなくても、「自分はダメだ・・・」「人生無駄だった・・・」と思い込むのは損である。

人生思い通りにならないことも多いけれども、失望することも多いけれども、長い目で見ればいいこともたくさんやってくる。

だから自分で自分の可能性を見切らずに、心を柔軟にして、長い目で、人生を歩んでいこう。最後にはきっと、自分に相応しい場所に辿り着くのだから。

追記

2020年、不思議なことが起こった。

ふとした偶然から10代の頃の夢だった音楽でお金を稼ぐ方法を見出し、音楽を作ることが日々の仕事になった。それは意図して見つけたのではなく、「なんとなく」を追っていた結果である。

一度「意識」の上ではあきらめ、忘れていたことでさえ、「それをしたい!」という想いが刻まれたのであれば。それが実現するときが、やがてやって来る。それがいつかはわからない。だがその時はやって来る。

自分が心の奥でしたいと思うこと、自分が本当に人生でやるべきことは、遅かれ早かれ、やることになるだろう。